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妻殺しの証拠はFitbit? IoTウェアラブルデバイスが「電子の足跡」になる日(前編)

江添 佳代子

May 10, 2017 08:00
by 江添 佳代子

今年4月、米コネチカット州在住の40歳の男性が妻を殺害した罪で起訴された。事件が発生した当時、男は警察の調べに対して「家に不審者が侵入し、彼女に発砲した」と証言していた。しかし妻が身につけていたFitbitの記録と、男の証言との間には、いくつかの大きな食い違いがあった。

フィットネストラッカー「Fitbit」

Fitbit社の「Fitbit」シリーズは、IoTのウェアラブルデバイスを代表する製品のひとつだ。スマートフォンやPCと同期し、ユーザーの歩行やトレーニング、睡眠状態などの様々なデータを記録する。北米のみならず世界中のユーザーに愛用されている大ヒット商品だ。近年ではXiaomiやAppleによる猛追を受けているため、以前ほど人気を独占している状態ではないが、昨年(2016年)もどうにか「ウェアラブルデバイスのトップシェア」の座を守り抜いた Fitbitは、健康志向の人々にとってすっかりお馴染みの商品となっている。

ウェアラブルデバイスの定番となったFitbit(画像は公式サイトより)

そして2015年に殺害されたコニー・デベイトも、Fitbitとスポーツジムを積極的に利用している健康志向の米国市民の一人だった。

夫の証言とFitbitが語る真実

この殺人事件は2015年12月23日の朝に発生した。殺害されたコニーはリチャード・デベイトの妻で、2人の子供の母親でもあった。彼女が殺害された当初、夫のリチャードは警察に対して次のように説明していた。
 
・朝8時半ごろ、私は出勤のために家を出たのだが、ノートパソコンを忘れてきたことに気づいた。それを取りに戻って、家に着いたのは朝の8時45分から9時ぐらいだった。
・自宅に入ると2階で物音がした。飼っている猫だろうと思って様子を見に行くと、そこには身長6フィート2インチ(約188cm)ほどの、ずんぐりした体型の大男がいた。彼は迷彩服を着ており、顔には覆面をつけていた。俳優のヴィン・ディーゼルの声に似た低い声で話す男だった。
・そのとき妻が外出先から戻ってきたので、私は妻に「逃げろ」と叫び、侵入者を取り押さえようとした。しかし彼は、ガレージと繋がっている地下へ降りて行き、妻に発砲した。時間は9時ごろだった。
・その後、覆面の男は私を金属製の椅子に縛り付けると、たいまつを使って私に拷問しはじめた。しかし私は「縛られていなかった右手」を使い、たいまつで彼の覆面に火をつけた。
・そして私はどうにか警報システムのボタンを押したあと、10時から11時ごろに携帯電話を使って911(日本の110番/119番)に連絡することができたのだが、すでに犯人は逃走していた。

これだけで「怪しい」と感じた方は多いだろう。作り話としても荒唐無稽なので、かえって本当なのではないかと深読みしたくなった方もいるかもしれない。しかし現実は、それほど面白くもない。警察の捜査で分かったことは次のとおりだ。
 
・同日の朝9時4分(証言によればリチャードが車に乗っているはずの時間)、リチャードは自分のPCから「事情があって仕事に遅れる」という内容のメールを上司に送っていた。それが自宅から送られたメールであったこともIPアドレスから判明している。
・9時18分、リチャードは同じPCを使って、コニーが通っているスポーツジムのウェブサイトにアクセスし、スケジュールのページを閲覧していた。このときも彼は、自宅でインターネットに接続している。
・9時18分、運動を終えてジムを去るコニーの姿が、監視カメラに撮影される。このときコニーは携帯電話で誰かと通話していた。それは彼女の携帯電話の通話記録にも残っている。
・それからコニーは車に乗ったので、彼女が身につけていたFitbitは一旦アイドル状態になる。そして9時23分に再びアクティブとなった。これは「彼女がドライブを終えた時間」、つまり自宅に着いて車を降りた時間だったと考えられる。
・9時40分から46分の間、コニーは自分のiPhoneを利用してFacebookにログインし、2つの動画を投稿し、さらに友人宛てのメッセージも送っていた。このとき彼女は、自宅のインターネット接続を利用していたことがIPアドレスで確認されている。つまり彼女は、ジムから帰宅したあと自宅でFacebookにアクセスしていた。
・コニーのFitbitが「持ち主の最後の動き」を最後に記録したのは10時5分。それは彼女が殺害された時間だったと考えられる。その記録によれば、彼女は車を降りてから殺害されるまでの間に、家の中を1217フィート(約370メートル)歩き回っていた。

Fitbitが証明する夫の矛盾

警察は「もしもリチャードの証言が真実であるなら、最後のコニーの歩行が125フィート(約38メートル)以上の距離を記録することはない」と判断した。自宅に着いたとたんに射殺されたはずの彼女が、車を降りてから370メートルも歩くのは不自然だからだ。つまり「帰宅後の約40分間、370メートルの歩行記録」はリチャードの証言と矛盾している。

それでなくとも、監視カメラの映像やインターネットの接続記録を見れば、「コニーは9時に殺害されたのではなく、9時半ごろに帰宅し、家の中で少し時間を過ごしたあとで殺害された」と考えるのが自然だ。Fitbitに残されていたコニーの身体の記録は、その仮説を強く裏付けるものだった。

実は、リチャードの言動には他にも怪しい点が多い。通報を受けた警官が彼の自宅に駆けつけたとき、「覆面の大男」とリチャードが揉み合ったはずの現場は比較的きれいに整頓されており、とても大人が争ったようには見えなかったため、警察は最初から彼の証言を疑っていた。

またコニーの命を奪った銃弾は.357マグナムだった。リチャードは事件の数ヵ月前に、それと同じ弾を購入したばかりだった。さらにリチャードは別の女性(コニーの友人)と恋愛関係にあり、その女性は妊娠していた。リチャードは彼女に「私とコニーは子供たちのことを考えながら、ゆっくりと離婚に向かって話を進めている」などのメッセージを携帯電話から送っていた。

そしてデベイト家では、なぜか夫のリチャードの生命保険が解約されており、妻のコニーだけが被保険者となっていた。コニーが殺害された5日後、リチャードは彼女の生命保険から47万5000ドル(約4750万円)を得ようとして断られている。その翌月の2016年1月、彼は妻の投資口座から9万ドル(約900万円)を引き出した。不審な点はまだまだ他にもあるのだが、もう充分だろう。

Fitbitは証拠の1つ

北米圏の複数のメディアは、この事件を「Fitbitが容疑者を特定した」と言わんばかりの見出しで報じているが、それは少々大げさだ。実際には「リチャードの場当たり的な証言が嘘であったことを示す、数多くの要素のひとつ」をFitbitが提供しただけに過ぎない。

複数の監視カメラにとらえられていた映像、夫婦の携帯電話やコンピューターに残されていた通信記録、Facebookのアクセス記録、さらには自宅のセキュリティシステムの記録や警察犬による捜査の結果まで、ありとあらゆる調査結果がリチャードの証言に相反していたことが訴状に記されている。そしてリチャードには妻を殺害する動機もあった。

「Fitbitが捜査に活用された殺人事件はどんな内容なのだろう」と胸を躍らせたセキュリティファンやミステリーファンの方々には申し訳ないが、これは最初から充分に怪しかった男が告訴されただけの事件である。決して「警察機関がFitbitのデータを高度な技術で解析し、迷宮入りしそうだった難事件の犯人を特定したエピソード」ではない。

とはいえ、もしも被害者が監視カメラで撮影されておらず、また起床してから一度も携帯電話やインターネットを利用しないまま殺害されていた事件だったなら、結果はどうなっていただろう? 被害者が身につけていたFitbitのデータは、持ち主の最後の足取りを示す非常に重要な証拠のひとつと見なされたかもしれない。それは「ユーザーの身体の動き」や、「動いた距離と時間」を自動的に収集してくれるデバイスだからだ。

そして実際、Fitbitの記録が事件の解決に役立てられたのは、この殺人事件が初のケースだったわけではない。次回では、過去にFitbitのデータが警察の捜査で利用された例についてお伝えしたい。
 
中編に続く

江添 佳代子

江添 佳代子

ライター、翻訳者。北海道生まれ、東京育ち、カナダ・バンクーバー在住。インターネット広告、出版に携わったのち現職。英国のITメディア『The Register』のセキュリティニュースの翻訳を、これまでに約800本担当してきた。
THE ZERO/ONEの記事を中心に、ダークウェブをテーマにした『闇ウェブ』(文春新書)の執筆に参加。

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