ハッカーの系譜(11)スタートアップ養成する「Yコンビネーター」 (3) ウェブサービスに活路を見いだす

牧野武文

May 2, 2017 08:00
by 牧野武文

夏休みの間だけやってみる?

画家になりたいと考えていたポール・グレアムは、最低の生活を続けていることに疲れ始めていた。お金を稼ぐために仕事をしなければならず、自分のほんとうにやりたいことをする時間がとれないという悪循環を断ち切るため、起業をして、大金を手に入れるしかないと思い始めていた。グレアムは、技術力のある友人のロバート・モリスを引き入れて、二人で起業しようと考えた。

モリスも起業に興味を示した。すでに29歳になっていたが、まだ博士号さえ取れていない。モリスワームの事件があって、大学院を入り直したことが痛かった。しかも、博士号を取ることができても、研究職につけるかどうかは疑問だった。モリスにしてみれば、あの事件は若気の至りにすぎない。しかし、ことあるごとに「ああ、モリスさん。コンピューター科学を専攻していらっしゃる。あのモリスワームとなにかご関係が?」と尋ねられるのだ。メディアからあのワームに自分の名前がつけられてしまったことが痛かった。

今後も研究職につく面接では、同じ質問が必ずされることだろう。それを考えると、グレアムといっしょに起業してみるのも悪くないと思った。うまくいけば、一生お金を稼ぐ必要がなくなり、好きなだけ自宅でコンピューター科学の研究ができるのだ。自分の研究所だってつくれるかもしれない。

しかし、研究者になるにはすでに歳をとりすぎている自分には、時間がないとも思った。ただでさえ遅れているのに、さらに起業などという寄り道をしていいものだろうか。

グレアムは、それでもモリスを誘った。モリスの技術力がどうしても必要だったからだ。「だったら、夏休みの間だけやってみないか? それで見通しが立たないようだったら、君は学校に戻ればいい」。

モリスは迷いに迷ったあげく、夏休みの間だけ、グレアムといっしょに仕事をしてみる気になった。

失敗したアイデアを「ピボット」する

二人が起業のタネにしたサービスは「アーティスティック」というものだった。画廊が自分が所有している絵画の写真を撮影し、高精細の画像をウェブ上に表示できる。いわゆるオンラインギャラリーだ。しかし、購入したり決済したりする機能はなく、絵画が見られるだけだった。

このようなソフトウェアを開発して、画廊に販売しようとした。結果は、大失敗だった。アーティスティックは1セットも売れなかった。画廊のオーナーは、だれ一人として自分の画廊をオンラインに乗せようとは考えなかった。

よく考えればそれもあたり前の話だ。絵画は高額商品であり、アマゾンで販売されている台所洗剤とは訳が違う。当時は、そして今でも、絵画をオンラインの画像で見ただけで注文する人は稀だ。贋作の可能性があるし、印刷による複製絵画ですら、印刷の良し悪しがある。購入するときは、必ず直接画廊に出向いて、自分の目で確かめて購入する。

画廊としては、まず画廊まできてもらうことが重要で、そのために小さな特集展示を組んだりして集客をする。それがインターネットで見られるようになってしまったら、みな自宅で見て満足してしまい、画廊にこなくなってしまうではないか。画廊のオーナーがアーティスティックに興味を示さないのも当然だった。

失敗した二人は、自分たちのアイディアを「ピボット」することにした。ピボットとは、後にグレアムがシリコンバレーで流行らせた言葉で、方針転換の意味だ。自分たちのアイディアを別の視点から眺めて、別の用途を見いだすことを意味している。

アーティスティックは、絵画のオンライン展示システムだが、なぜ絵画なのだろうか? グレアムが絵が好きで、画廊に多少の知り合いがいるという理由しかない。なぜ、絵画じゃなければいけないのか? そんな理由はどこにもなかった。

二人は、アーティステックをピボットさせて、個人商店向けのECサイトにすることにした。ECサイトもアーティスティックも基本的な構造はほとんど同じだ。絵画の代わりに商品の写真を掲載し、あとはショッピングカートの仕組みを追加すればよかった。決済機能は、当時はまだネット上でカード決済する習慣が普及してなく、振込や小切手を郵送するのが一般的であったため、注文さえできれば、決済機能は必要とされていなかった(2年後にカード決済機能が追加された)。

グレアムとモリスは2日間一睡もせず、最初のバージョンをつくりあげた。しかし、二人にはまったく満足がいかなかった。アーティスティックと同じように、ソフトウェアをインストールしてもらい、自分のPCの中でECサイトを構築し、完成したらサーバーにアップすると開店できるという仕組みだった。「このようなソフトウェアはすでにごろごろしている」。二人は、もう一度「ピボット」しなければならない必要性を感じた。

このようなECサイト構築ソフトウェアを購入するのは、個人商店が中心になるだろう。大手企業が購入してくれればそれは嬉しいが、大手企業は自社開発する道を選ぶだろう。問題は、個人商店の店主のITリテラシーはまださほど高くないということだった。そういう人たちにとって、パッケージソフトを購入して、インストールをして、使いこなし、さらにはできあがったECサイトデータをサーバーにアップロードするというのはきわめてハードルが高いことだった。中には、パッケージの中に入っているCD-ROMを、自分のパソコンのどこに入れればいいのかわからないというレベルの人までいる。そのことは、アーティスティックを売りこみに画廊を回ったときに、いやというほど経験している。なにか別の方法を考えなければならなかった。

ウェブアプリケーションの誕生

グレアムは、ある朝、起きてみると、ウェブアプリケーションというアイディアを思いついていた。ソフトウェアをローカルなPCにインストールして、そこで作業をするのではなく、ウェブにアクセスして、インターネット経由でPCから操作して作業をするのだ。今日では、GoogleドキュメントやGmailのようにごく当たり前のものになっている方式だ。

ウェブアプリケーションにすることで、ユーザーはソフトウェアを手に入れて、インストールをし、マニュアルを読みながら設定をし、使い方を覚えるという面倒な作業がなくなる。ウェブにアクセスして、ユーザー登録をして料金さえ支払えば、すぐに使い始めることができるのだ。できあがったECサイトのデータをアップロードする手順も必要なく、「公開」ボタンをクリックするだけでECサイトを開店することができる。これであれば、個人商店主でもなんとか使えるだろう。

もうひとつ、二人ともWindowsアプリケーションを書くのに慣れていないということがあった。ウェブ系の言語には馴染んでいたが、アーティスティックでほとんど初めてWindowsアプリケーションを書いてみて、ほとほと嫌気がさしていたのだ。「Windowsソフトウェアというのは、でかくてほかほかしたウンコのようなもので避けるに越したことはないと思っていました」とグレアムは述べている。「神様、ありがとう! Windowsソフトウェアを書かなくて済みます!」と、グレアムは天から降ってきたウェブアプリというアイディアに感謝をした。

ウェブアプリにすることで、展望が開けてきた。なにより、パッケージの箱をもって、購入の可能性がある見こみ客を回って、行商のようなことをしなくて済む。興味を示した顧客には、URLを教えるだけでいいのだ。

このアイディアを周囲にすると、友人のジュリアン・ウェーバーが興味を示し、投資をしようと言いだした。1万ドルのシード資金を提供するので、起業する会社の株式の10%を提供してほしいというのだ。さらに法律面のバックアップもするという。二人はすぐにこの話に乗った。社名を「ビアウェブ」(Viaweb:ウェブ経由)にした。ウェブアプリであるために「ウェブ経由ですべてができます」という意味のネーミングだ。

しかし、起業するのに1万ドルの資金というのは決して多いとは言えない。人を雇ったら、あっという間に人件費で消えてしまうし、開発に必要な機材も買わなければならない。モリスは、同級生とルームシェアをしてアパートに住んでいたが、そのルームメイトは夏の間、ケンブリッジで学ぶことになった。そこで、グレアムがモリスのアパートに引っ越し、同じ部屋で寝起きをともにしながら、二人でビアウェブを本格的に開発することになった。

24時間2交代制の開発体制だった。モリスは朝7時に起き、朝食を食べたらすぐに仕事にかかり、夜12時ごろまで仕事をする。グレアムは昼に起き、昼食を食べたらすぐに仕事にかかり、明け方の5時まで仕事をする。二人には仕事以外の時間はほとんどなかった。グレアムは映画も好きだったが、後年映画の話をされても、ビアウェブの開発をしていた1995年から1998年の間の3年間に公開された映画は、まったく見たことがないことに気がついたという。

1996年11月ごろの「Viaweb」ウェブサイト(The Wayback Machineより)

 
(第4回に続く)




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