ハッカーの系譜(10)マービン・ミンスキー (12) 脳は肉でできた機械

牧野武文

April 13, 2017 12:00
by 牧野武文

「2001年宇宙の旅」のアドバイザーを務める

ミンスキーのところに、ある映画監督から連絡が入った。その監督は、宇宙ステーションを舞台にした映画を作りたいのだが、知能をもつコンピューターにリアリティをもたせたいので、話を聞かせてくれないかというのだ。ミンスキーは快く承諾し、その映画監督はミンスキーの研究室にやってきた。

その映画監督は、スタンリー・キューブリックといった。1960年、カーク・ダグラス主演のスペクタル史劇「スパルタカス」で成功し、有名監督となったキューブリックは、一転して、頭が少しずつおかしい人たちが水爆攻撃のカギを握っているという風刺映画「博士の異常な愛情」を発表し、鬼才と呼ばれ始めていた。

ミンスキーにアドバイスを求めたのは、次回作の宇宙を舞台にした映画で、「2001年宇宙の旅」のことだ。その中では、HAL9000というコンピューターが登場し、HALと乗組員の静かで熱い闘争が繰り広げられる。キューブリックは、ミンスキーに人工知能はどのような受け答えをするのかを聞きたがった。ミンスキーは人工知能の考え方やロボットの動きなどについて、話をしたという。

映画の中のロボットアームに驚くミンスキー

ミンスキーのアドバイスは効果があったようだ。「2001年宇宙の旅」では、自分に与えられた任務を完遂するため、HAL9000は回路を遮断しようとする乗組員を次々と殺害していく。物静かな口調で殺害計画を淡々と進めていくHAL9000に、観客は底冷えがするような恐怖を感じた。

公開された「2001年宇宙の旅」を見たミンスキーは、あるシーンに驚愕したという。それはHAL9000によって、船外に閉めだされた乗組員が、船外活動ポッドのロボットアームを使って、手動でハッチのロックを解除しようとする場面だ。ロックにロボットアームの手が伸びていき、ロックを回転させて解除する。なんでもない場面だが、現実にこれをやるのはきわめてむずかしい。というのは、ロックの回転軸とロボットアームの手の回転軸を正確に揃えてやらないと、ドアロックを回転させることができないからだ。少しでもずれていると、回転が途中で止まってしまうか、ロックをつかんでいるいずれかの指に負担がかかりすぎ、破損してしまう可能性もある。

ロボットに人工知能を搭載させる研究をやっていたミンスキーだったが、こういう知能となにかを探る以前の技術的課題が多すぎて、ロボットの研究はまだむずかしいと感じていた。それが映画の中では、やすやすとむずかしい技術的課題を突破していた。ミンスキーはあわてて、キューブリックのスタッフに連絡をとり、「あのシーンはどうやって撮影したのか」と問い合わせた。

その答えは、意外なものだった。ロボットアームの手をロックに接着し、回転式ロック自体は、カメラに映らないドアの向こう側で、スタッフが手で回していたのだ。

子どもの発達研究に没頭する

ミンスキーは生まれるのが早すぎた人だったのかもしれない。あるいは時代の先を見すぎる人だったのかもしれない。ミンスキーには未来が見えているのに、現在がその未来に追いついていかないことに常にもどかしさを感じていた。

ミンスキーは「知能とはなにか」ということを解き明かしたいのに、そのためのツールとしてのパーセプトロン、ロボットは技術的な進化がじゅうぶんではなく、多くの人工知能研究者がパーセプトロンそのものを研究し、ロボットがもつ技術的課題を解決しようとしてきた。もちろん、それは必要な研究ではあるが、ミンスキーにしてみれば、早く山登りを始めたいのに、靴紐を編まざるを得ないようなもどかしさを感じていたに違いない。

ミンスキーは、結局、心の問題を直接考える、分野として定義するのであれば発達心理学の世界に没頭していった。ミンスキーの心を捉えていたのは、子どもが犯す誤りだった。

たとえば、子どもは10歳ぐらいまで、客観的な空間認識が完全ではない。テーブルの周りに、親や親戚が座っているとき、「どの位置にだれが座っているか」ということを尋ねると「向いにお父さん、右手にお母さん、左手に叔母さん」と答えることも図に再現することもできる。しかし、では向に座っているお父さんの視点から、だれがどのように座っているかということを尋ねると、途端にわからなくなるのだ。つまり、主観的な空間認識はできているが、客観的な空間認識能力がまだ発達していない。

また、さまざまな能力も身体との結びつきで学習していくらしいこともわかってきた。たとえば、だれかと協調する、協力するといった社会性能力は、赤ん坊のときに養育者と視線をあわせることから始まる。養育者が合わせた視線を、別のものーーたとえばおもちゃに移すと、養育者と赤ちゃんの間で、そのおもちゃが主題となり、言葉が通わせられなくても、「おもちゃで遊ぶ?」「おもちゃで遊びたい」といった意思を伝えられるようになるのだという。このような視線による「共同注意」もある日突然身につくのではなく、段階を経て発達してくる。

一方で、生得的だとしか思えない行動もある。たとえば、生まれてようやく目が見えるようになった赤ん坊の前で、養育者が自分の唇に触ると、赤ん坊もそれを模倣して自分の唇に触ろうとする。これは驚くべき行動だ。なぜなら、赤ん坊は視覚でとらえた映像で、養育者が指で触れているのは唇であると認識でき、なおかつその唇というものが自分の体のどのあたりにある部位なのかを知っていることになるからだ。

子どもができること、まだできないことを調べることで、人間の知能がどのように発達していくのかがわかっていく。ミンスキーは発達心理学の分野の研究に没頭していった。

フレーム理論とLOGOを生みだす

その成果が、フレーム理論とLOGOだった。フレーム理論は、大雑把に言うと、学習した体験をフレームと呼ばれる枠組みとして記憶し、新たな体験をするときは、似通ったフレームを記憶から呼びだして、修正を加えて対応しようとするという理論だ。たとえば、電車に乗るときに、「切符を買う」→「改札を通る」→「電車に乗る」というフレームを学習した人は、初めて飛行機に乗るときも「まず切符を買わなければ」「改札に相当する場所はどこだろう?」と電車のフレームを応用して、新たな体験を学習していくというものだ。詳しくはミンスキー自身の著作を読んでいただきたいが、オブジェクト指向言語と似通った構造であるところが面白い。

プログラミング言語LOGOは、パパートが開発したものだが、ミンスキーは子どもがどのような誤りをするのかを見るために使った。LOGOは、人工知能研究でよく使われるLISPによく似た言語だが、文法規則が厳しくなく、いい加減に書いたプログラムでもなんとか動くのが特徴だ。もちろん、プログラムに誤りがあれば、プログラマーの意図通りには動かないが、ミンスキーは子どもがそのような誤りをする場面を見たかった。ちょうど、自分が渦巻きを描くプログラムを書いていて、正円を書き、そこからミンスキートロンが生まれたようなことを期待していた。

AI研からメディアラボへ

ミンスキーは人工知能研究の最先端を歩みながら、人工知能研究に批判することも多かった。パーセプトロンも人工知能ロボット研究もそうだ。そのような研究が無駄だと言っているわけではない。過剰な期待をしたり、本質的ではないところに時間がとられることにいらだちを感じていたのだ。知能とはなにか。ミンスキーはその秘密を解き明かしたかった。しかし、世の中の人は、ロボットの関節モーターの改良に血道をあげている。それも大切なことかもしれないが、ミンスキーの知りたい「秘密」に迫るものではなかった。

ミンスキーがいなければ人工知能研究は、ひとつの学問領域となることはなかっただろう。しかし、ときにその批判が鋭すぎて、人工知能ブームが停滞し、世の中の人工知能研究者が生活に困るほどの「AIの冬」時代を招くこともあった。ミンスキー自身も例外ではなく、ハッカーの巣窟であり人工知能研究のメッカであったMIT AI研も、資金不足から維持がむずかしくなっていった。
1985年、公的資金ではなく、企業スポンサーから研究費をまかなうという新しいスタイルの研究機関、MITメディアラボが設立されると、ミンスキーは教授となり、メディアラボで人工知能の研究を続けた。

人生を短くしている欠陥が修正できる日がやってくる

ミンスキーの口癖は、「脳は肉でできた機械」というものだ。その機械の構造と仕組みを解き明かしたい。それがミンスキーの一生の仕事だった。自らも人工知能研究に大きな貢献をしただけでなく、大きな影響力を与えることになる研究者を多数育ててきた。

2003年、ミンスキーはTEDカンファレンスで「マービン・ミンスキーが健康や人間の心について語る」という気楽なプレゼンテーションをおこなった。内容は難しくなく、ユーモアにあふれたものだった。しかし、そのプレゼンの最後で、ミンスキーはきわめて挑戦的なことを口にした。
「今後20年間で、遺伝的アルゴリズム、ルールベースなどの従来の人工知能アプローチから脱却をしたい。そして視点を高くした統合した仕組みを構築したい」。このとき、ミンスキーはすでに76歳だったが、やる気まんまんだった。

80歳を超えると、さすがに体が衰え、杖がなければ外を出歩くことができなくなったが、体の機械は錆びついても、脳の機械はまったく錆びつくことなく、深い思索をし、ときどき人にその才気を見せ、「考えるとはなにか」を考え続けていた。

2009年12月7日、82歳のミンスキーはこうツイートした。「私たちは体と脳のすべての部品を交換する方法を見つけることだろう。それで、私たちの人生を短いものにしている欠陥や故障を修繕できるようになる」。

ミンスキーにとって、人生はあまりにも短すぎた。時間が足りなかったとしか言いようがない。これが最後のツイートになった。2016年1月24日、脳出血のため永眠。88歳だった。機械の体と脳をつくりだすことはできなかった。
 
【参考文献】
「心をもつ機械」ジェレミー・バーンスタイン著、岩波書店刊
「心の社会」マービン・ミンスキー著、産業図書刊
「ミンスキー博士の脳の探検」マービン・ミンスキー著、共立出版刊
「ハッカーズ」スティーブン・レビー著、工学社刊




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