ハッカーの系譜⑧ノーラン・ブッシュネル (6/8) 家庭用ゲーム機の元祖「アタリ2600」を発売

牧野武文

October 18, 2016 10:30
by 牧野武文

1975年、アタリは社員数347人、年間利益75万ドルの中堅企業に成長していた。しかし、家庭用ゲーム機「ステラ」の開発を本格的におこなうには、さらに60万ドルを調達する必要があると見積もられた。しかし、株式公開をして資金調達をするにはまだまだ長い道のりが必要のようだった。かといって、60万ドルを出資してくれる投資家も見つからなかった。

映画会社のワーナーから、2800万ドルを調達

そこに接触してきたのが、ワーナー・コミュニケーションズ(現・タイムワーナー)だった。映画会社のワーナー・ブラザーズが母体になった企業だ。ワーナーは「カサブランカ」などの名作映画を数々つくってきたが、1950年以降、低迷し、買収に次ぐ買収で、いったん崩壊状態にまで陥ったが、1970年になって、ポール・ニューマンやロバート・レッドフォード、クリント・イーストウッドなどのハリウッドスターと共同制作をすることで映画会社としてみごとに復活し、その利益を映画関連企業の買収に使うことで事業を拡大していた。

ワーナーは、ビデオゲーム市場にも参入したいと考えていた。ホームポンやブレイクアウトの成功を見たからで、今後映画化されるコンテンツと連動して、ビデオゲームを開発できるようになれば、映画とゲームのシナジー効果も期待ができる。一方で、アタリは資金を必要としていた。ノーランは、株式公開がむずかしい状況下では、ワーナーに買収してもらうのが最も適切だと判断した。アタリの取締役に、ワーナーの人間が入ることになるが、基本的な会社の運営は引き続きノーランがおこなう。家庭用ゲーム機の開発を実現するには、このワーナーによる買収をまとめるしかないと考えた。

そして、1976年にワーナーへの売却が決まった。買収金額は2800万ドル。60万ドルの開発資金がほしかっただけなのに、2800万ドルもの大金をワーナーはだしてくれた。アタリの株のほとんどをもっていたノーランは、一夜にして大富豪になった。ワーナーの人間がアタリの取締役会にもやってきたが、ノーランがリーダーであることにはなにも変わりなかった。ノーランには、すべてが順調に進んでいるように見えていた。しかし、この瞬間から、アタリの崩壊が始まるのだ。

ワーナーにより息苦しくなっていくアタリの社内

ノーランはステラプロジェクトを本格始動するにあたって、開発チームに3つの指示をだした。「1:親が子どもに買ってあげられる程度の価格に抑えること。2:子どもの乱暴な扱いにも耐える堅牢な筐体にすること。3:ゲームを制作するソフトハウスを増やすために、本体の仕様をできるだけ公開すること」だ。安く、強く、オープンなゲーム機を目標にした。

しかし、社内の自由な空気はしだいに変わり始めていた。ワーナー出身の取締役は、すぐに仕事中にマリファナを吸う習慣を問題視し、「9時から5時までは、社内はもちろん、敷地内でのマリファナの喫煙を禁止する」というルールを設定した。しかし、このときはまだノーランは、活き活きとしていた。ノーランはすぐに対抗して、501ルールを発表した。501ルールとは、5時1分になると、ノーランが社内放送を使って、「501の該当者は、私のオフィスに集合すること」と放送する。501の該当者が、ノーランのオフィスに入ると、ノーランは彼らから預かっていたマリファナを返却するのだ。その場で楽しむものもいれば、芝生にいって楽しむものもいた。

アタリ社内のゲームルームは、ノーランの自慢だった。アタリ社製のアーケードゲームはもちろんすべてそろい、フーズボールやビリヤード、カードテーブルの他、ドリンクマシン、スナックマシンがあり、すべて無料で楽しむことができた。ノーラン自身が、ホットドッグとポップコーンが大好物で、自分のことをジャンクフードキングと呼んでいたほどだ。このアタリのゲームルームの噂を聞いて、マイケル・ジャクソンが遊びにきたこともある。

しかし、あるときから、このゲームルームから社員の姿が消えた。ワーナー系の取締役が、ゲームルームを頻繁に利用する社員をチェックし、閑職に回すように、人事部に指示をだしたからだった。

結婚して、アタリに興味を失っていくノーラン

もうひとつの大きな問題が、次第にノーランがアタリに対する興味を失っていってしまったことだ。ひとつはステラプロジェクトが順調に進み、VCS(Video Computer System)という商品名で発売する道筋が見えてきた(後にアタリ2600と名称変更される)。自分の使命を果たしたと感じたノーランは、しだいにアタリの中で自分が次にやるべきことを見失っていく。

さらに、ワーナー系の役員たちは、ノーランを露骨に排除し始めた。確かに、501ルールをつくったりしてしまう創業者は、アタリを大人の会社に変えたいワーナー系役員にしてみれば、じゃまな存在であっただろう。

さらに、離婚をしていたノーランは大恋愛をする。アタリのあるエンジニアが、酒場のウェイトレスとデートの約束をした。ところが彼の都合が急に合わなくなり、ノーランが代わりにいくことになった。ノーランは、相手のナンシー・ニノをひと目で気に入ってしまい、34歳と25歳で結婚をすることになった。

ノーランは、結婚に合わせて37もの部屋、16エーカーの庭、プールにテニスコートがある豪邸を購入した。すでに富豪になっていたノーランは、この豪邸でナンシーとすごすことに夢中になり、会社に顔を見せる回数がめっきりと少なくなっていった。

「スペースインベーダー」で爆発するアタリ2600の人気

ノーランが不在になってもアタリ2600の開発は順調だった。1977年のクリスマスシーズンに向けて、40万台を製造。クリスマスシーズンで完売してしまうという大成功だった。販売価格は199ドルと求めやすい価格もよかった。カラーに対応しており、別売りのゲームカセットを差し込むと、自宅のテレビでゲームを楽しむことができる。今日の家庭用ゲーム機の基本となった。

1977年11月に発売された「Video Computer System」ことアタリ2600 Photo by Wikipedia

翌年は、売上がやや頭打ちになったが、1979年にはアステロイド、1980年にはナイトドライバー、1981年にはミサイルコマンドというゲームが大人気になり、それにつれてアタリ2600の売れ行きも伸びていった。とくに影響が大きかったのは、1980年に発売されたスペースインベーダーだ。スペースインベーダーは、日本のタイトーが開発した大ヒットゲームで、日本では社会現象といえるほど大流行をした。その移植版がアタリ2600に登場すると、米国でもすぐに大ヒットゲームとなった。「インベーダーを遊びたいがためにアタリを買う」というソフトウェアが市場を引っ張る現象が起こり始めていた。発売後3年近く経って、アタリ2600はブームになった。

Atari 2600版スペースインベーダー

アタリショックの原因となった予約注文制

しかし、同時にビデオゲーム史上、最も有名な事件ーーアタリショックへの予兆が始まっていた。ブームになったアタリ2600で、最も問題になったのが、供給不足だった。アタリの生産能力では、消費者が要求するだけのアタリ2600本体、ゲームカセットを製造することができない。販売店では、注文量の半分程度しか入荷できず、店頭に並べるとすぐに売れてしまう状態が続くようになる。それがまたブームに拍車をかけていた。

これを問題視したのが、ワーナー系の取締役たちだ。「せっかくの販売機会を失っている」として、製造や流通の責任者が責められる事態となった。アタリは、この問題の打開策として、販売店に対して予約注文制度を徹底することにした。とくにクリスマスシーズンに対しては、半年以上も前から予約をとり、その予約数に応じて生産体制を整えることにした。

ここでアタリは計画生産をするようになり、経営も安定するようになった。なぜなら、夏頃にはクリスマスシーズンの売上がかなり正確に予測できるようになったからだ。アタリ関連商品が売れ残るなどということは、考えられない。アタリは「ヒットゲームがでれば急成長、ヒットゲームがでなければ倒産」という水物商売を脱して、きちんとした企業の態勢を整えた。しかし、これがアタリショックの引き金となるのだ。

クソゲーになることが決定的だったアタリ版「パックマン」

もうひとつ、アタリショックの原因になる事態が、1981年に起きていた。1980年7月に登場したナムコのアーケードゲーム「パックマン」が日本で大ブームになると、すぐに米国にも輸入されて大ヒットになった。パックマンという主人公キャラクターが迷路の中のドットを食べていくと、4種類のモンスターがパックマンをとらえようと襲ってくるというゲームだ。それまでの主流だった「ミサイルで敵を撃退する」ゲームとはまったく違って、「うまく逃げる」ことがゲームの面白さになっている。また、インベーダーもそうだが、日本のゲームはキャラクターも魅力的だ。パックマンのシンプルで愛らしいキャラクターそのものも大人気となった。

1981年の春、アタリはこのパックマンをアタリ2600への移植する権利を獲得した。インベーダーに続く、大ヒットゲームになることは明らかだった。そのため、アタリのエースエンジニアであるトッド・フライが担当することになった。フライには、パックマンの開発に対して32万ドルのボーナスが約束された。しかし、フライはこの仕事で、精も根も尽き果てることになる。

つまづきは、フライが8Kロムを採用したいと進言したが、それが経営陣から否定されたことだった。フライは、このパックマンが従来のゲームとは構造がまったく違っていることをすぐに読み取った。そのため、容量の大きな8Kロムカセットを採用したがった。アタリ2600のロムカセットの容量は4Kが標準だったが、さまざまなゲームが開発できるように倍の容量をもつ8Kロムカセットも開発されていた。経営陣が8Kロムカセットの使用を認めなかった理由は明らかだ。パックマンはどう考えても500万個以上の売れ行きが見込まれる。4Kロムカセットと8Kロムカセットでは製造原価はまったく異なるが、価格は他のゲームと同じにしなければならない。経営陣は利益を優先したのだ。

無理ゲーだったパックマンの開発

フライは、パックマンの移植に四苦八苦することになった。当時のビデオゲームは、今日の家庭用ゲーム機のように、画面全体を瞬時に書き換えることはできなかった。アーケードゲームは専用チップ、専用回路を使うので、画面を自由に書き換えることができるが、アタリ2600ではそうはいかない。ここがアーケードゲームからの移植で、常に問題になる点だった。

アタリ2600はスプライトという特殊な仕組みを使っていた(ファミコンなど後の家庭ゲーム機も同様の仕組みを使っている)。スプライトというのは、「妖精」という意味で、素早く移動できる小さなグラフィックのことだ。ゲームの中で素早く動かしたいキャラクターやボール、ミサイルなどの描画にこのスプライトを使う。ゲームの背景は通常のビデオ表示を使うが、基本的に動かさない。大きな画面を書き換えるには、CPUの能力が不足しているからだ。その書割のような背景の上に、自由に動かせるスプライトという小さなグラフィックを使って、ゲームを成立させる。アタリ2600では、プレイヤーキャラクター用のスプライトが2つ、ミサイル用の小さなスプライトが2つ、ボール用の小さなスプライトが1つ用意されている。

ポンのようなゲームの場合、プレイヤースプライトでパドルを描く、ボール用スプライトでボールを描く。動くのはこれだけで、点数表示などは遅い画面書き換えでも十分対応できる。インベーダーでは、プレイヤーとUFOをプレイヤースプライトで描く、ミサイルをミサイルスプライトで描く。インベーダーも動くが、ゆっくりと規則的な動きなので、画面書き換えで対応できる。

しかし、パックマンはどうだろうか。動くものがプレイヤーのキャラクター1つと、モンスターが4つもある。キャラクター用スプライトは2つしかないので、どうやっても表現することができない。そこでフライは、8Kロムを使うことで、スプライト以外の方法でモンスターを表示する仕組みを実現しようと考えていた。しかし、8Kロムの使用が認められなかったために、どうしようもない窮地に追いこまれてしまったのだ。

空前の大ヒットが事前に確定した「パックマン」

パックマンの開発は、1981年の5月末に始まり(開発開始時期が大幅に遅れた)、11月末に完成させ、12月のクリスマスシーズンに販売する予定だった。ところが9月の末になっても、開発のめどがまったく立たない状態でいた。

一方で、経営陣は舞い上がっていた。クリスマスシーズンの予約注文の集計があがってみると、なんとパックマンだけで1200万個の注文があったのだ。それまでのアタリのヒットゲームアステロイドは380万個で、インベーダーが500万個。それ以上の大ヒットゲームになることが確定した。しかし、このときアタリ2600の本体は累計でも600万台しか売れていなかった。経営陣は、この不思議な数字にだれも疑問をもたなかった。インベーダーのブームで、アタリ2600本体も爆発的に売れ、累計販売台数を倍増させた。それと同じ現象がパックマンでも起こるのだと理解した。

販売店側もパックマンに大きな期待をしていた。アタリのゲームは、注文をしても実際は注文数の半分しか入荷できず、常に販売機会を失うことに唇を噛んでいた。このパックマンの大きな波に乗り遅れることはできない。そこで、各販売店は独自の需要予測の倍の数字を注文票に書きこんだ。こうすれば、予測分の商品は確保できると考えたのだ。

400万個の不良在庫を生んだ「パックマン」

このような過熱する期待に、開発担当のフライは震えていた。11月になってもパックマンは完成せず、その年のクリスマスシーズンの販売は延期となった。しかし、いつまでも発売を延ばすわけにはいかない。1982年の3月発売のデッドラインが示され、これをクリアできなければ、フライの責任問題になってくる。

フライは仕方なく、自分でも納得いかない方法で、スプライト問題を解決することにした。それはプレイヤースプライト2つで、プレイヤーのキャラクターとモンスターすべてを表示してしまうことだ。プレイヤーのキャラクターは、プレイヤースプライトを1つ使う。そして、4匹のモンスターを3匹に減らして、1つのスプライトを使って描画することにした。

その方法は、簡単だが、効果の点では大いに問題のある手法だった。それは、3匹のモンスターを順々に1つのスプライトを使って描画するという方法だった。モンスターAの場所にスプライトを表示する。次に、その表示を消して、モンスターBの場所にスプライトを表示する。これを消して、モンスターCの場所にスプライトを表示する。これを高速でおこなうことで、あたかも3匹のモンスターがいるかのように見せた。これが十分高速であれば、多少ちらつくだけで、3匹のモンスターがそれぞれに動いているかのように見えただろう。ちょうど忍者の分身の術のような具合になる。

しかし、実際はそうならなかった。まるでゲームがぶっ壊れて暴走しているかのように、モンスターがチラチラとあちこちに飛ぶようにしか見えない。パックマンというゲームを知っていれば、それでも遊べるが、初めてパックマンを遊ぶ人にとっては、画面の中でなにが起きているのか、まず理解できないだろう。クソゲーだった。

遅れに遅れて、パックマンは1982年3月に発売が始まった。シアーズ、ローバックなどの大型販売店では、3日で初回入荷分が売り切れるという大ヒットだった。その後も順調に売上を伸ばしていたが、7月に770万本を売り上げたあたりで動きがピタリと止まってしまった。「クソゲーだ」という噂が広まったためだ。すでに生産してしまった400万個が不良在庫となった。

アタリ版のパックマン

アーケード版のパックマン

アタリ版パックマンのカセット CTR Photos / Shutterstock.com

 
(その7に続く)




ビール祭りにやってきた犯罪者を「顔認識」で一網打尽

November 13, 2017 08:00

by 牧野武文

中国山東省青島市で開催された国際ビール祭りで、青島市開発区警察は、会場に顔認識システムを設置。公安部保有のデータベースと照合することで、犯罪者を抽出し、逮捕するという作戦を実行した。49名の逃亡犯、麻薬犯罪者、スリなどを逮捕する成果をあげたと『新浪科技』が伝えた。 10万人以上がやってくるイベント …

PacSec 2017レポートソフトバンクPepperが危険な理由

November 10, 2017 08:30

by 『THE ZERO/ONE』編集部

米国のセキュリティ企業「IOActive」に所属するセキュリティエンジニア、ルーカス・アパ氏が「スカイネットが来る前にロボットをハックする」と題してロボット、特に家庭向けの製品に関するセキュリティ・リスクについて「PacSec2017」で講演を行った。 家庭用のロボットはリスクだらけ ルーカス氏はネ…