ハッカーの系譜⑧ノーラン・ブッシュネル (5/8) スローガンは「懸命に働け、もっと懸命に遊べ」

牧野武文

October 13, 2016 10:30
by 牧野武文

「ポン」で成功したノーランが次に考えることは株式公開だ。株式を公開することで、莫大な資金を市場から得ることができ、さらにアタリを大きく発展させることができる。そして、自分もただの金持ちではなく、富豪になれるのだ。

株式公開を目指す

しかし、アタリの株式公開は難航した。ノーランは有力な投資家たちともつきあい始めたが、意外にも彼らの間でのアタリの評判は悪かったのだ。ひとつは、ポンだけの一発屋だと思われていたことがある。もうひとつは、アーケードゲーム業界に悪いイメージがあったことだ。当時も、酒場や劇場に置かれるアーケードゲームの流通にはマフィアが絡んでいた。このような業界に投資をすることは、余計なリスクを背負い込むことになると考える投資家が多かった。もうひとつは、アタリの社風だった。仕事の合間にマリファナを吸うなどというのは、さすがに世間的には許容できないものだった。

アタリが株式公開をするために、やることは明らかだった。ひとつは、さらにヒット商品を生みだして、ポンだけの一発屋ではないことを証明すること。もうひとつは、アーケードゲーム業界以外の業界に進出をして、健全な業界でビジネスをしている企業であることを証明すること。ノーランは、オデッセイのような家庭用ゲーム機をつくることを構想し始める。家庭用ゲーム機は、玩具業界のもので、百貨店や玩具店で販売をする。子ども向けの健全な商品だ。そして、最後の社風を改めることだったが、ここだけはノーランは改めるつもりはなかった。なにより自分が自由な雰囲気が好きだったし、遊びを生みだす企業なのだから、社員が楽しまなければ素晴らしいものはなにも生まれない。ノーランは、大きな豪邸を買い、そこに巨大なジャグジーをつくらせ、企画会議を出席者全員でジャグジーに入りながらするようになった。

ノーランは、work hard and play harderというスローガンを掲げた。「懸命に働け、もっと懸命に遊べ」という意味だ。

シリコンバレー流のワークスタイルを創ったアタリ

ノーランは、社内に研究開発部門を次々とつくっていった。新しいゲームを創造する研究、そして先進テクノロジーの研究などをする。とくに重要だったのが、ポンを1チップ化する研究だった。ポンは、基盤の上にさまざまなLSIを並べてできあがっているが、これを1つのカスタムチップにしてしまいたかった。こうすると、ハンダづけ工程などがすべて不要になるだけでなく、とても小さなポンが製造できるようになる。ノーランは、ポンを1チップにして、家庭用ポンとして発売することを考えていた。

もうひとつは、まったく新しいビデオゲームを創造する研究だ。この研究部門で働く社員は、労働者の貴族だった。広いオフィスが与えられ、周囲には自分の好きなぬいぐるみや玩具を置くことが許された。会社の経費で、模型飛行機やスロットマシンや玩具を好きなだけ買い、仕事中にそれで遊んでいてもなにも言われなかった。社屋の中には、カフェや軽食の食堂がつくられ、いつでも無料でコーヒーを飲んだり、ハンバーガーを食べたりすることができる。いわゆるシリコンバレー流のワークスタイルができあがっていった。

今日、この文化は、多くのシリコンバレー企業に受け継がれ、日本企業でも取り入れるところが増えている。それが社員の創造力を活性化し、生産性をあげる手法なのだと信じられている。しかし、その起源がアタリにあるということは記憶にとどめておくべきことだろう。アタリの研究部門では、今までだれも見たことがない遊びを創造することが求められていた。つまり、周りに玩具を並べ、仕事中にも遊んでいるように見えるのは、必要があってやっていることなのだ。決して、見栄や酔狂で、玩具と戯れているわけではない。

こういう起源をもっているシリコンバレー文化を表面的に真似をしても、仕事が営業数字をエクセルに入力することだったりしたら、まったく意味がないことになってしまう。シリコンバレーを真似した日本企業の多くが、結局、無料の社員食堂をつくっただけになってしまうのは、その思想をきちんと理解していないまま模倣しているからだ。シリコンバレーの文化を生みだしたアタリが、エンターテイメント企業であったということはもっと意識されていいことなのではないだろうか。

「面接をしてくれるまで帰らない」若き日のスティーブ・ジョブズ

1974年のある日、19歳の大学生が、アタリの入社面接を受けたいといって、社屋の前で座りこみを始めた。ヒゲを生やし、薄汚れたTシャツを着て、裸足にサンダルという、わかりやすいほどのヒッピースタイルの若者だった。ノーランは、なんの実績もないその若者がなぜか気に入り、入社を認め、彼は40番目の本社社員として雇用された。彼の名前は、スティーブ・ジョブズといった。後に、アップルを創業したあのジョブズだ。

研究開発部門から、あるゲームの企画があがってきた。タッチミーという名前のアーケードゲームだ。4つの色違いボタンが並んでいるという単純な仕組みで、スタートボタンを押すと、ボタンが音ともに光る。ひとつのボタンだけではなく、4つのボタンが一定の順序で光っていく。プレイヤーはその順序を覚えて、その通りに押していかなければならない。クリアすると、光るボタンの数はどんどん増えて複雑になっていくというものだ。ジョブズは、このタッチミーの制作をまかされた。

さほどむずかしい仕事ではなく、ジョブズはこの仕事をそつなくこなしたようだ。そして、ジョブズ本人の強い希望で研究チームに加えられたが、人間関係はうまくいかなかった。他の社員の考えた試作機を勝手に見ては「クソのようだ」とけなしてまわったからだ。一方で、ジョブズにはなにかを生みだした実績などなかった。そのため、同僚からは「口だけの生意気なやつ」として嫌われていたようだ。

ステーブ・ジョブズが製作に関わったアーケード版「タッチミー」

ウォズが設計に参加した「ブロック崩し」

ノーランは、研究部門からあがってきた「ブレイクアウト」に注目をしていた。ポンを応用したゲームで、非常に魅力的なアイディアだった。ポンを縦にし、相手と打ち合うのではなく、ボールをあてて、積み重ねられたブロックを消していくというものだった。日本では「ブロック崩し」として流行をした。

ただし、ノーランは試作機にはまったく満足していなかった。当時はLSIの集積度が低かったため、200個ものLSIを使う設計になっていたのだ。大きな基盤を数枚重ねにする必要があり、コストもかかり、筐体も大きくなってしまう。ノーランは社内公募をおこなった。「だれでもいいからブレイクアウトのLSIを120個以下に収めてくれ、達成したものには特別ボーナスを5000ドル支給する」と言ったのだ。しかし、この公募に挑戦する者はなかなかでてこなかった。

すると、あの嫌われ者で、口だけ番長のジョブズが手を上げてきた。周りは反対をした。ジョブズにできるわけがないと。しかし、ジョブズは、幹部たちにはこっそりと告げていた。ヒューレットパッカードに勤務しているスティーブ・ウォズニアックに手伝ってもらうつもりだと。幹部は、それならば可能性があるかもしれないと考えた。ウォズニアックの天才ぶりは、シリコンバレーでは知らない者がいないほど有名になっていたからだ。

そして、ジョブズとウォズニアックの2人は、4日間でブレイクアウトの基板設計を終え、LSIの数を42個までに抑えた。ジョブズには設計手当700ドルと、ボーナス5000ドルが渡された。ジョブズはウォズニアックには、5000ドルのボーナスのことは話さず、700ドルの特別手当の半分の350ドルだけを手渡した。

こうして、1976年4月にブレイクアウトが発売され、こちらはポン以上のヒット商品となった。

アーケード版「ブレイクアウト」のフライヤー Photo by Wikipedia

アーケード版「ブレイクアウト」

百貨店シアーズ経由で販売し、成功した「ホームポン」

ノーランは、その前年、より大きな挑戦をしていた。ポンの1チップ化に成功し、筐体を極端に小さくすることができた。モニターはモノクロテレビを利用しているので、家庭のテレビに接続して、ポンが遊べる家庭用ゲーム機がつくれる。ノーランは、これを「ホームポン」と名づけ、玩具業界を攻略しようと考えていた。

ノーランの戦略は、アタリ独自で販売をするのではなく、一般消費者に対してブランド力のあるパートナーを探して、そこから発売することだった。ノーランは、米国の百貨店チェーン、シアーズと契約することに成功した。シアーズは、庶民向けの百貨店で、現在の日本のイオンに近いイメージだ。

ホームポンは、シアーズから「シアーズテレゲーム・ホームポン」という商品名で、1975年11月、クリスマス商戦に向けて販売された。当初は7万5000台の予定だったが、追加注文が入り、合計で15万台を売り切った。

翌1976年1月には、アタリブランドでホームポンの販売が始まった。最初は有名ブランドで発売し、消費者の間にアタリブランドが認知されるようになってから、自社ブランドで発売するという戦略が非常にうまくいった。

自宅でもゲームができる「ホームポン」  Photo by Wikipedia

伝説になったドラッグマシン「アタリビデオミュージック」

アーケードゲームの世界で、ポン、ブレイクアウトという2つのヒット商品をだし、家庭用ゲーム機の世界でもホームポンというヒット商品をだした。経営は順調というより、儲かりすぎてるほどだったが、ノーランはさらにステップアップする道を模索していた。それは、家庭用ゲーム機を開発することだった。ポンやブレイクアウトなどのゲームは、ロムカセットとして供給され、それを装着するだけで、家庭のテレビでさまざまなビデオゲームが楽しめるというものだ。

しかし、このような汎用ゲーム機は、以前のホームポンとはまったく次元の異なる製品だった。要は、汎用ゲーム機は、コンピューターなのだ。これを開発するには、莫大な研究資金、莫大な開発資金が必要で、アタリは株式公開をして、資金を集める必要があった。

しかし、あいからわず、株式公開は難航する。2つのヒット商品が連続してでたといっても、面白ければ売れるし、つまらなければ売れないという水物商売であることは変わっていない。経営を安定させる必要があった。もうひとつ障害になっていたのが、アタリ特有の社風だ。アタリの社員は自分たちを「アタリアン」と呼んで、特別な人間なのだという自負をもっていた。しかし、世間から見れば、ヒッピー集団にすぎなかったのだ。

このころ、アタリは伝説になるマシンを発売する。アタリビデオミュージックだ。これはオーディオ機器とテレビの両方に接続する装置で、オーディオで音楽をかけると、その音に合わせて、テレビ画面に万華鏡のような幾何学模様が踊り始めるというものだった。完全に視覚的ドラッグだった。マリファナなどを吸うときに、音楽をかけ、ビデオミュージックでサイケデリックな映像を表示する。すると、気持よくトリップができる。

新しい時代のオーディオ装置として、ホームポンと同じように、シアーズ経由で販売することが計画されたが、シアーズはわずか2台しか購入しなかった。数百台が製造されたが、ほとんど流通することはなく、購入したのは社内販売を利用したアタリアンばかりだった。

このビデオミュージックは、世間の投資家たちに悪い印象を与えた。会社の規模としては、株式公開の一歩手前まできているのに、アタリは大人の会社になることができない。ヒッピー的なおかしな機器を開発して失敗する不安を残した企業だと見なされ、投資家たちはますますアタリを敬遠するようになってしまった。

新しすぎたオーディオ機器「アタリビデオミュージック」 Photo by Wikipedia

アタリビデオミュージックの実演

CPUの登場で現実化した家庭用ゲーム機

1974年に、インテルは8ビットCPU、インテル8080を発表した。これは画期的なLSIだった。LSIというのは集積回路という名の通り、それまでダイオードや抵抗をはんだづけして作っていた回路(スペースウォーや初期のポン、ブレイクアウトはこうした回路によるビデオゲームだった)をチップ化したものだ。そのため、ポンの回路をチップ化したLSIはポンにしか使えない。ところが、インテルは4ビットCPU、インテル4004から、汎用性をもたせた設計にし、あとからプログラムで命令をしてやることで、さまざまな動作ができるチップの開発に成功した。しかし、4ビットCPUは一度に16種類の情報しか扱うことができないので、制御用のマイコンやせいぜい電卓程度にしか使えない。ところが、8ビットCPUになると、一度に256種類の情報を扱うことができるので、計算をおこなわせたり、文字を扱わせたりすることができるようになり、パーソナルコンピューターへの道が開けてきた。この年の暮れには、さっそく8080を使った世界最初のパーソナルコンピューター「アルテア8800」が登場している。

半導体メーカーのモトローラーもインテルに続いて、8ビットCPU、MC6800を発表。インテル8080が、前世代の4004の考え方を引き継いでいたのに対し、MC6800はまったく新しい設計であったため、先進的で動作が速かった。すると、すぐにモステクノロジーがMC6800をよく研究して、互換性をもったMOS6502を1977年に発表した。これは、MC6800とほぼ同じように使える上、性能が高く、しかも価格が安かった。そのため、このMOS6502(と機能限定版のMOS6507、及びリコー、ヤマハなどがライセンス生産した互換CPU)は、さまざまなパーソナルコンピューター、家庭用ゲーム機に採用されることになる。アップルのアップルII(6502)、任天堂のファミコン(リコーの互換チップ)などがそうであり、アタリも機能限定版のMOS6507を使った家庭用ゲーム機開発に乗り出すことになった。

この開発は、社内でステラという女性名で呼ばれた。アタリでは、この頃から、開発プロジェクトに女性名をつける習慣が始まった。この習慣は、スティーブ・ジョブズによってアップルにも受け継がれた。ジョブズが初めて自分で監督した開発プロジェクトは「リサ」であり、発売時にはそのまま商品名としても使われた(ただし、アップルではプロジェクト名を女性の名前で呼ぶのは、女性差別的だという話が出て、この習慣は途絶えることになった)。
 
(その6に続く)

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