ハッカーの系譜⑧ノーラン・ブッシュネル (4/8) 「ポン」で成功をつかんだアタリ

牧野武文

October 11, 2016 08:00
by 牧野武文

夏になり、ピンポンゲームの開発はさらに進んだ。ノーランは、スピンの問題を解決するアイディアを思いついた。オデッセイのテニスゲームでは、つまみを回すことでボールの軌道を変えることができた。しかし、物理法則にのっとった変わり方ではなく、手動で変わるため、打ち返すのがきわめてむずかしくなる。それが面白いという考え方もあるだろうし、これでは興ざめだという考え方もあるだろう。

ノーランとアルコーンは、ラケット(パドル)を4分割することにした。ボールがパドルの端1/4にあたったときは、ボールの反射角が変わるようにした。ラケットの端にボールがチップしたときに、ボールがあらぬ方向に飛んでしまう感覚だ。その代わり、反射角は変わっても、その後の軌道は直線的になるようにした。この機能が加わったために、このピンポンゲームには、戦略やテクニックというものが生まれた。

それでもノーランは、まだ躊躇していた。アタリの前作はコンピュータースペースという理系の大学生が好みそうなSF的でクールなゲームだった。しかし、ピンポンというのはどうなのだろうか。クールなのだろうか。アタリがクールではないゲームを開発していいのだろうか。

ダブニーやアルコーンと話し合い、まずテストマーケティングだけでもやってみることにした。コンピュータースペースでは、酒場であるダッチグースに置いた。しかし、ノーランは別の場所を探すことにした。ダッチグースは、スタンフォード大学やメンロー大学の学生が多く、コンピュータースペースのようなクールなゲームは歓迎されるだろう。しかし、ピンポンはどうだろうか。ダサいと言われてしまうのではないか。

そこで、アンディキャップのタバーンという酒場と交渉し、こちらでテストをおこなうことにした。アンディキャップは、大学生ではなく、地元の人々や肉体労働をしている人たちが多い。ピンポンはそのような普通の人向けのゲームだし、コンピューターになじみのない彼らに受けるようであれば、発売をしても成功できるのではないかと考えたからだ。

パドルにあたる場所によってボールが飛んでいく方向が違うため、ゲームに深みが増した

1日に400回遊ばれた「ポン」

テストマーケティングの直前、重大なバグが発覚した。コートの端の方で、ボールの軌跡がまっすぐになると、バドルの端で打ち返しても軌跡が変わらず、永遠に打ち合う千日手状態になってしまう。こうなるとどちらかがパドルを移動させて、わざとミスをして次のボールでプレイするしかない。本来は修正すべきバグだったが、当時のビデオゲームは、プログラムを組んでいるのではなく、半導体を使った回路で構成されている。そのため、バグによっては簡単に修正できないこともあった。ノーランは言った。「フィックスできないバグは、仕様と呼ぶようにしよう」。

1972年9月、アンディキャップにピンポンゲームの試作機ーーこのときにはすでに「ポン」という名前がほぼ確定していたーーを置いて、テストマーケティングが始まった。アンディキャップには、6台のピンボールマシンと1台のコンピュータースペースが置かれたゲームコーナーがあった。

数日後、アンディキャップのオーナーから苦情の電話が入った。「みんな、酒を注文せずに、入ってくるなりまっすぐにポンをやるために並んでしまう。商売があがったりだ」。置いて2週間経つと、再び苦情の電話が入った。

「ポンが動かなくなった。故障のようだ」。

ノーランが修理に向かってみると、コインボックスがいっぱいになっているために、新たなコインが入らない状態になっていた。コインを回収すると、ポンは再び遊べるようになり、回収したコインは1日100ドルに達していた。1回25セントなので、1日に400回プレイされたことになる。これはつまり、酒場の営業時間中、途切れることなく遊ばれていたことになる。ポンの製造原価は400ドルだったので、わずか4日間で原価を回収できる。「これは間違いなく成功するのではないか」とノーランは感じた。

業界からは無視された「ポン」

ポンの成功の秘密はわかりやすさだった。もちろん取扱説明書のようなものはないし、筐体にも遊び方など書いてない。それでも、人が遊んでいるのを数分見るだけで、プレイヤーはなにをすればいいかがわかる。一方で、コンピュータースペースは、初めてのプレイヤーは自分がなにをしたらいいかわからないし、人が遊んでいるのを見ても、どういうゲームなのかよくわからない。ゲーム世界を徐々に理解していくプロセスが、コンピュータースペースの魅力のひとつだが、それを面白いと感じるのはやはり理系の学生だ。

アンディキャップからは、デモ機のほかに、もう1台を正式に注文してきた。ノーランはまず12台を製造して、1台をアンディキャップに販売し、もう1台をデモ用に自分たちで使い、残りの10台をあちこちの酒場に置いてテストマーケティングを続けた。

しかし、ナッティングは販売を断ってきた。ゲーム内容があまりに単純すぎるというのだ。それよりも、以前から開発を進めているはずのドライブゲームを見せてほしいという。一説には、オデッセイの露骨なパクリゲームであるということがナッティング社内で問題になり、訴訟リスクを恐れたのだともいう。

ナッティングに断られたため、ノーランはシカゴに飛び、いくつかのアーケードゲームの問屋を周り、デモをおこなった。しかし、どこも評価は芳しくなかった。ひとつの理由は、ノーランがテストマーケティングの成績を控えめに伝えたからだ。アンディキャップでの大成功をそのまま伝えると、成績を捏造しているのではないかと疑われると考えて、半分程度の売上数字を伝えている。一軒の問屋だけが興味を示してきたが、条件が合わずに契約には至らなかった。ポンは、テストマーケティングの成績は素晴らしかったが、アーケードゲーム業界からは興味をもたれなかった。

売り先もないままに50台を製造

このノーランのシカゴ出張は、なにも成果をだすことができなかった。シカゴから帰ってくると、ノーランは製造も販売も自分たちでやろうと言いだした。確かにどこのメーカーも問屋も興味を持ってくれないのだから、自分たちでやるしかなかった。

しかし、ダブニーは恐ろしいほどの不安を感じた。なぜなら、アタリのお金はほとんど底をついていたからだ。秘書とアルコーンには約束した給料を支払わなければならない。そのため、創業者であるノーランとダブニーは、アタリを設立して以来、まだ1セントも給料をもらっていないのだ。そこへきて、さらにアーケードゲームを製造するというが、その資金はどうするのだろうか?

ノーランは、業界への攻略法を変えるのだと説明した。アーケードゲームの大手問屋はシカゴに集中している。彼らは全米にゲーム機を販売している。しかし、体質は古く、いまだにピンボールマシンが主流だった。一方で、西海岸地区にも小規模ながら問屋がいくつかある。彼らは規模が小さいだけに、儲かるアーケードゲーム機を求めている。客との距離も近く、テストマーケティングの結果を伝えればきっと興味を示してくれるだろう。書類上の数字が信じられなければ、近所なのだから、ポンの試作機を置いている酒場を見にきてもらえばいい。シカゴの大手は、そのような労力をかけるつもりはまるでないようだったが、チャンスを渇望している西海岸の問屋なら、そういう手間暇をかけてくれるかもしれない。

ノーランは、まず50台を製造しようとダブニーに提案した。ダブニーは、自分の預金を崩し、安売りをしている家電店にいき、日立製のモノクロテレビを1台60ドルという安値で、50台購入した。アタリに対して、3000ドルの追加投資をしたことになる。

ノーランの電話の魔術が「ポン」を救った

ダブニーが指揮を取り、アルコーンとともに50台のポンの製造が始まった。狭いガレージは、テレビの山に占領されてしまった。デスクが仮の資材置き場になってしまったノーランは、ガレージの外にでて、楽しそうにその作業を見ていた。さすがに、そのノーランの様子にダブニーは怒りを爆発させたようだ。「君の仕事はなにか覚えているか? この50台を売ることなんだぞ!」。

一瞬で、ノーランの顔から笑みが消えた。そして、電話を取り、ノーランの電話の魔術が始まった。数日後、ノーランは「これで300台が売れた!」と叫んだ。ノーランの狙いどおり、西海岸のアーケードゲームの問屋3軒に300台が売れたのだ。どの問屋も、実際にポンの試作機が置かれている酒場にいき、その人気ぶりに驚いて、アタリが製造できるだけ売ってくれという。ノーランは、その発注書をもって、ダブニーの知り合いが勤めている銀行にいき、融資を申し込んだ。

すべてがうまく回りだしていた。問題は人手だった。製造に関われるのは、ダブニーとアルコーンの2人しかいない。ノーランもある程度は手伝えるが、契約や流通の打ち合わせで忙しい。早急に大量の人手が必要になった。

運が登り調子になっているときは、すべてがうまくいく。コンピュータースペースに夢中になった高校生たちが、「こんなクールなゲームをつくったアーティストに会いたい」といって、アタリの住所を探しだし、訪れるようになった。まるでロックアーティストに憧れるようにして、アタリのガレージ社屋にやってくる。ノーランは彼らを逃さなかった。その場でアルバイト雇用して、ポンの製造を手伝わせたのだ。「アタリにいくと、偉大なゲームアーティストといっしょに仕事ができて、アルバイト料も払ってくれる」という口コミが、彼らの友だちの間に広まり、次々とアルバイト志望の高校生がやってくるようになった。

ポンの注文は、ノーランが営業電話をかけなくても、向こうから続々と入ってくるようになり、アタリはバックオーダーをこなすことに追われた。社員数はまだ数人だったが、40人近いアルバイトが働いている。とても狭いガレージでは作業ができなくなった。ノーランがビジネスパークの管理会社に隣のガレージのことを尋ねてみると、ローソク会社が契約しているのだが、倒産同様の状態らしく、レンタル料も滞っているという。管理会社に中を開けてもらうと、荷物もほとんどなかった。ノーランはすぐに契約をして、隣のガレージも作業場にした。

隣の作業場にいくのに、いちいち外に出て周るのは面倒だと考え、夜中の間に壁の一部を壊して、中から行き来ができるようにしてしまった。管理会社は激怒したが、もはや修理費用を支払うことは、ノーランにはなんでもないことになっていた。次々と注文が入り、次々と代金としての高額の小切手が送られてきていたからだ。アタリはポンでようやく成功をつかんだ。

大ヒットとなった「ポン」 Photo by Wikipedia

大音量でサイケ音楽が流れるアタリの工場

ノーランは、もはや資金繰りを考える必要はなくなった。むしろ、税金に取られないように、どのように使うかに頭を悩ませるようになった。しかし、あいかわらず、大きな問題は場所と人だった。ノーランは、近くの高校や大学を回って、求人募集をおこなった。その帰り道の道路で、ヒッチハイカーをひろって、彼を口説いて、アタリでアルバイトさせたことまである。

ノーランは広い場所を求めて、近所の空き地をめぐった。そして、アタリにぴったりの場所をマーチンアベニューに見つけてきた。そこは、元コンチネンタルボールルームという舞踏場だった。社交ダンスが衰退すると、コンサート会場として使われるようになっていたが、コンサート会場としては広さが足りず、経営がむずかしく、閉鎖することになってしまう。最後の出演者は、ジミ・ヘンドリックスだった。その後、室内ローラースケートリンクに改造されたが、これもうまくいかず閉鎖。その後は、勝手にヒッピーが入り込み、共同生活をしていた。警察の手を借りて、ヒッピーの排除は終わったものの、これといった使いみちがなく、もてあましていた。ノーランは、この場所を購入してしまい、建物を活かして、そのままポンの製造工場にしてしまった。

1973年1月、アタリはガレージカンパニーから脱して、きちんとした工場のある中小企業になった。すでに200人の人間が働いていた。しかし、働き方はヒッピー風だった。仕事中は、工作機械がだす騒音を打ち消すために、スピーカーから大音量の音楽が流されていた。もちろん、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドといったサイケデリックロックや、ママス&パパスのようなウェストコーストロックばかりだった。男性は上半身裸のものが多く、休憩時間にはマリファナが回されるありさまだった。犬好きのエンジニアを雇用するとき、彼が「職場に犬を連れてきたい」と言うと、それを許すだけでなく、犬にも社員証を発行するような自由な職場だった。

工員の時給は2ドル75セントと、一般的な相場だったが、大量にポンの注文が入ると、たびたび臨時ボーナスが全員に配られた。いい賃金がもらえて、ロックが聞けて、マリファナまで吸える。アタリの工場は、ヒッピー系の若者にとって、どうしても働きたい工場のひとつになった。

本社のロビーには、セコイアとシダが飾られ、まるでジャングルのようだった。そのジャングルをかきわけていくと、アタリ社のアーケードゲームが無料で楽しめるゲームコーナーを見つけることができる。

最初の1年で、ポンの売上は326万7451ドルにもなった。スタートアップとしては大成功だった。社員、工員の士気も高い。しかし、残業が多く、そこだけが不満だったようだ。ノーランはすぐに工員の不満を解消する制度をつくった。週ごとの製造ノルマを定めて、それを達成した週の金曜の夜は、工場をとめて、ビアパーティーを開くようになった。今や金持ちになったノーランたち、アタリの経営陣がビールを大量に買いつけて、工場で振る舞うパーティーだ。創立記念日やハローウィンといったイベント時には、ノーラン自ら牛の着ぐるみをきて、胸から腹にかけて、赤ちゃんのおしゃぶりを取りつけて、それを社員たちに吸わせるという道化を演じて、社員と工員を楽しませている。

このビアパーティは、恒例となり、アタリに就職を希望する人々の参加も許されるようになった。管理職の人間は、そこでアタリ志望者とビールを飲み、人柄を見極めるのだ。

(その5に続く)




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