ハッカーの系譜⑧ノーラン・ブッシュネル (2/8) 世界初の「ビデオ・アーケードゲーム機」を開発

牧野武文

October 4, 2016 08:30
by 牧野武文

1969年のある日、ノーランが出社してみると、ミニコンピューターのタイムシェアリング端末のパンフレットが置いてあった。価格は8000ドルだった。それまでノーランの頭の中では、コンピューターを自由に使うには20万ドルのミニコンピューターを買うしかないと思いこんでいた。

しかし、よく考えて見れば、8000ドルの端末を購入し、タイムシェアリングサービスを提供している業者に電話回線で接続すれば、コンピューターを使うことができるのだ。8000ドルでスペースウォーがつくれるかもしれない。1回25セントで遊ばせ、1日200回プレイされれば、半年で開発費が回収できる。ミニコンピューターの使用料や、電話回線の接続料も必要になるが、1年ほどで原価が回収できそうだ。遊園地にスペースウォーを置き、電話回線でミニコンピューターに接続させたらどうだろうか。

スペースウォーをアーケードゲームに

このアイディアをダブニーに話すと、彼も大賛成だった。そこで簡単な企画書をつくり、アンペックスの直属上司に提出したが、答えはノーだった。アンペックスの仕事ではないというのだ。

それも仕方のないことだった。というのは、当時は遊園地ビジネスやゲームビジネスは、まっとうな仕事とは考えられていなかった。本来遊園地は、大人の遊び場だった。仕事を終えて夕食を食べた後に、羽目をはずしにいくのが遊園地だったのだ。一人でやってくる男や女は、その夜の相手を求めていて、そこに売春婦や麻薬販売人が紛れこんでいた。

子どもをつれた家族連れもいたが、それはあくまでも週末の昼間でしかない。このような遊園地に置かれるアーケードゲーム、射的やハンマーによる力試しといったものは、遊園地の他には酒場や劇場などに置かれ、いずれも流通はマフィアやそのフロント企業が担っていた。

遊園地やアーケードゲームビジネスは、決して違法なものではなかったが、そういう長い歴史があるために、グレーな業界と世間からは思われていた。アンペックスがそのような世界に興味を持たないというのも仕方のないことだった。

このような遊園地のネガティブなイメージを一変させたのが、1950年にオークランドに開園したチルドレンズ・フェアリーランドだ。童話をモチーフにしたテーマパークで、白雪姫やピーターパンといった童話の登場人物の着ぐるみを着たガイドが案内をしてくれ、あちこちで童話をテーマにしたパペットショーがおこなわれる。食事もでき、1日遊べるテーマパークだった。

このフェアリーランドを訪れたウォルト・ディズニーは、大いに驚き、喜び、そして1955年にアナハイムにディズニーランドをオープンさせる。フェアリーランドとディズニーランドが大好きだったノーランは、ごく自然にスペースウォーを商品化しようと考えたが、世間のアーケードゲームに対するイメージはまだまだ否定的なものだったのだ。

電話の魔術師、ノーラン・ブッシュネル

ノーランとダブニーの2人は、サイドビジネスとしてスペースウォーを開発しようと考えた。しかし、サイドビジネスとしては荷が重すぎることがわかってきた。ひとつは、アーケードゲームの流通を握っている問屋のほとんどはシカゴにあり、アンペックスに出勤しながら、シカゴまでたびたび打ち合わせにいくのは、資金面でも時間面でもむずかしいことだった。

もうひとつは、2人にはアイディアはあったが、実際の開発と量産をする技術はもっていないことだった。ノーランはスペースウォーのプログラムを書けるほどのプログラミング技術はもっていなかった。ゲームの基本的な部分は書けるにしても、ジョイスティックなどと接続するドライバーを書くには能力不足だった。

もうひとつは筐体を作る技術だ。プラスティックにするにしろ、木材でつくるにしろ、そんなことはやったことがなかった。

この頃から、ノーランは電話の魔術師だった(スティーブ・ジョブズも電話かけまくり魔だった)。困難に直面すると、あちこちに電話をかけまくって、なんとかしてしまう。このときも、電話帳を見ながら、あちこちに電話をかけて、マウンテンビューにあるナッティングアソシエイツ社という企業を見つけてきた。ナッティングは、主にピンボールを製造している企業で、シカゴの問屋ともつながりがある。2人がスペースウォーのプロタイプをつくれば、それをナッティングが再設計し、製造、流通までを受け持ってくれる可能性があることがわかった。あとは、プログラマーを雇うことが必要だったが、アンペックスの中にはたくさんのプログラマーがいる。その中から、ラリー・ブライアンに声をかけ、スペースウォー開発の話が現実的になっていった。

新しい会社の名前は「惑星直列」

1969年10月、ノーラン、ダブニーの2人とブライアンが、ダブニーの自宅に集まって、初めての会議がもたれた。ノーランとダブニーの2人がそれぞれ額面350ドルの小切手を持ち寄り、当面の経費をまかなうことにした。つまり、非公式ではあるが、ノーランとダブニーの会社が資本金700ドルで設立されたことになる。

その次に、社名を決めておく必要があった。ノーランは安直に創業者の2人の名前をとって、B&DまたはD&Bとしようとしたが、ダブニーとブライアンは反対をした。あまりにありきたりすぎるというのだ。そこで3人がいろいろな社名を考えていると、ブライアンが面白いアイディアをだしてきた。シジジーという不思議な名前だった。シジジーは、太陽系の惑星のうち、3つの天体が一直線に並ぶ現象のことだ。占星術の世界では、重力の偏りが強くなり、天変地異が起こったり、時代が変わるきっかけになると考えられている。ブライアンにしてみれば、自分は雇われプログラマーなのではなく、自分も創業者の1人だと主張したかったのかもしれない。いずれにせよ、ノーランはこの不思議な名前が気に入り、新しい会社はシジジーに決定した。

3人はそれぞれに動き始めた。ノーランは、ナッティングと交渉して、製造と流通の態勢を整えた。製造と流通はナッティングがおこなうが、シジジーはロイヤリティーとして売上の5%をもらえる契約となった。これは3人にとって都合のいい契約だった。プロトタイプを開発さえしてしまえば、あとのすべての仕事はナッティングがおこなってくれる。5%のロイヤリティは決して多くはないが、3人はアンペックスに勤めながら、副収入としてロイヤリティを受けられることになる。

ブライアンは、アンペックスのミニコンピューターを使いながら、上司に隠れてスペースウォーのプログラムを改造し始めた。

ダブニーは、4歳の娘のテリーの部屋を作業場にして、プロトタイプの開発を始めた。娘のテリーは、夫婦の寝室を使うことになり、ダブニーの妻のポーラは、リビングにマットレスを敷いて寝ることになった。テリーの部屋は、あっという間にケーブルやガジェットでいっぱいになった。

鍵となったスポットモーション回路

開発を始めてみると、大きな問題に直面した。それは、当時のミニコン端末のディスプレイは、テキストが表示できるだけで、絵文字のような図形を組み合わせてグラフィックを表現するしかなかったことだ。大学などで遊ばれていたスペースウォーには、高価なグラフィックディスプレイが使われていて、そのような高価なディスプレイを使ったのでは、とても採算が合わないことがわかった。

ここで、ダブニーがブレイクスルーとなる大きな発明をした。それはスポットモーション回路と呼ばれるものだ。ダブニーは、高価なグラフィックディスプレイではなく、安価な家庭用モノクロテレビを利用できないかとさまざまな実験をおこなっていた。そして、映像を実にスムーズにスクロールさせる裏技を編み出した。

テレビは、電波で送信された信号を受け取って、ブラウン管の奥にある電子銃がその強さに応じた量の電子を発射する。ブラウン管の裏側には蛍光物質が塗られているので、電子があたると明るく光る。この電子銃は、ブラウン管の左上から水平方向に動き、それから1ライン分下にさがり、最終的にブラウン管の右下に到達して、1画面分の映像を描く。いわゆる走査方式だ(実際は、飛越走査など複雑な動きをするが、ここでは単純に左上から右下に走査するとして説明する)。

1画面分の映像情報が送られてくるタイミングは、テレビ放送の規格によって決まっている(ほぼ1/30秒)。テレビの中では、このタイミングに合わせて電子銃を動かさなければならない。もし、電子銃の動きが遅いとどういうことになるだろうか。電子銃が画面の下に到達しない間に、1画面分の映像が表示されてしまう。電子銃はまだ画面の下端に達していないのに、次の画面の情報は送られてくるので、画面の下端から次の画面が始まってしまう。この動きのズレは、時間とともにどんどん広がっていくので、人間の目には、画面が上方向に流れていくように見える。逆に電子銃の動きが速すぎれば、画面は下に流れていくことになり、電子銃の左右の動きにずれがあれば画面は左右にも流れる。このため、多くのテレビには電子銃の垂直方向と水平方向の速度を調整するつまみがついている(垂直同期つまみと水平同期つまみ)。

ダブニーはこれを利用すれば、宇宙船をスムースに動かせるのはないかと思いついた。そして、垂直同期と水平同期を制御する回路を設計し、これをスポットモーション回路と名づけた。この技術が生まれたことで、ビデオゲームというジャンルが登場することになった。

垂直同期がずれていて、電子銃の動きが遅すぎると、テレビ映像は上にずれていくように見える。これをうまく利用すると、ボールのような描画対象を上にスクロールさせていける。これがストップモーション回路の原理で、創業時のアタリの決め手になる技術だった

筐体はバスタブ会社に依頼

スペースウォーの商品化が見えてきた1970年3月、ノーランはアンペックスを退職して、シジジーに専念することにする。ダブニーも6月に退社をする。2人のわずかな退職金を使って、ダブニーの自宅を増築し、そこを本格的な作業場にし、社名もシジジーエンジニアリングに改名した。しかし、収入はなかったので、ダブニーの妻はサンタクララ庁舎でデータ入力のパートタイムの仕事をし、さらに空き時間にはベビーシッターをして、ダブニー家の家計を支えた。

1971年の夏には、ほぼ回路設計が終わり、最初のバージョンが動くようになっていた。最初のテスターは、部屋を追い出されていたダブニー家の娘テリーだった。そのとき、ノーランは大きな要素が抜け落ちていることに気がついた。それはサウンドだった。オリジナルのスペースウォーにはサウンドのようなものはない。しかし、アーケードゲームとして楽しむには、サウンド効果をつけることがどうしても必要だとノーランは感じた。ピンボールマシンだって、遊園地のゲームだって、さまざまな音をだして、プレイヤーの興味を惹きつける。ダブニーはすぐにサウンド回路の設計に入った。

ノーランは、筐体の設計を始めた。スペースウォーなのだから、木製の筐体ではなく、なにか未来的なルックスをしていなければならない。ノーランお得意の電話の魔術が始まった。電話帳を見ながら、未来的な箱をつくれそうな企業に次々と電話をしていく。そうして、ようやくスペースウォーにぴったりの筐体をつくれそうな企業を見つけた。シリコンバレーにあるバスタブ製造会社だった。

映画「ソイレント・グリーン」にも登場するコンピュータースペース

スペースウォーのプロトタイプが見えてくると、2人はナッティング社に雇用された。シジジーエンジニアリングに席をおきながら、ナッティングに出社して、開発の総仕上げとマーケティング、流通の開拓などの仕事をすることになった。ナッティングから給料も出ることになり、貯金の底が見え始めていた2人にはたいへんありがたい話だった。

1971年9月、マサチューセッツ工科大学の学生ベンチャーが、スペースウォーのアーケードゲーム化に成功した。しかし、ミニコンピューターPDP-10に接続をして遊ぶという、ノーランたちが最初に考えていて放棄したのと同じアイディアを使っていた。そのため、1台2万ドルもする。10セントで遊べるので、本体価格を回収するには3年近くかかる計算になる。ビジネスとしては成功することができず、すぐに消えてしまった。

商品化を先んじられたことに、ノーランは一瞬冷や汗をかいたが、内容を知ると胸をなでおろした。シジジーのスペースウォーは、スポットモーション回路という独自技術ではるか先を進んでいる。本体価格も数千ドルと圧倒的に安い。必ず市場をつかむことができるとノーランは確信していた。

そして、1971年の末には、近くのバー「ダッチグース」にデモ機を置いて、テストマーケティングが始まった。これは大成功だった。いつでもスペースウォーの前には、行列ができるほどの人気になった。ダッチグースは、スタンフォード大学とメンロー大学の近くにあり、大学生が客の中心で、スペースウォーを知っている客も多かった。

この結果を受け、ナッティングはスペースウォーを「コンピュータースペース」という商品名で1000台製造することを決定。1972年の春から、バー、劇場、遊園地などへの販売が始まった。映画「ソイレント・グリーン」の小道具としても採用され、実際に遊ぶシーンが映画の中にでてくる。

コンピュータースペースのプロモーションようチラシ Photo by Wikipedia

コンピュータースペースの稼働している様子

映画「ソイレント・グリーン」の内で使われれる「コンピュータースペース」

この1000台は好調に売れたが、それきりだった。追加注文はなく、追加生産されることもなかった。ノーランとダブニーには、相応のロイヤリティが支払われたが、ちょっと多めのボーナス程度で、「ベンチャーとして成功」というわけではなかった。

(その3に続く)




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