ハッカーの系譜⑧ノーラン・ブッシュネル (1/8) 「シリコンバレー文化」を創った男の半生

牧野武文

September 29, 2016 12:00
by 牧野武文

シリコンバレーは「未来をつくる世界の中心」だが、その黎明期には「エレクトロニクスのハリウッド」と呼ばれることもあった。映画の都ハリウッドのように自由で、才能さえあればだれでも成功できるアメリカンドリームに満ち満ちているという意味だ。

ビング・クロスビーもエンジェルだった

それだけでなく、ハリウッド映画界の大物ビング・クロスビーもシリコンバレーの成長に大きく貢献している。クロスビーはラジオ時代の歌手として、世界的に名を知られる存在になった。それまでの歌手は、オペラ歌手のように声を張り上げ、フルボイスで歌うのが常識だった。それは劇場に適した歌い方だったが、ラジオには適していなかった。マイクなどの機器の性能が低く、声量のある歌声は、音割れを起こしてしまうからだ。

クロスビーは放送機器の特性をよく研究し、囁くような甘い声で歌った。それは、彼の最大のヒット曲「ホワイトクリスマス」のように、洗練された歌唱法を生みだした。その後、多くの歌手がクロスビーの歌唱法を真似たので、現代の私たちから見ればごくありふれた歌い方にしか見えないが、当時としては革命的な歌唱法だったのだ。

完璧主義者であったクロスビーは、生放送のラジオ番組を嫌っていた。いったん録音して、気に入らない部分は録り直しをして、完璧な歌声にして、聴取者に聞かせたがったのだ。ところが、当時の録音機材、とくに録音テープの性能は悪く、編集するためにダビングを繰り返していくと、あっという間に音質が低下していってしまう。

クロスビーは、性能のいい録音機材を探しまわった。すると、カリフォルニア州サン・カルロスにある社員6人の小さな会社が、優れたオープンリールレコーダーを開発していることを知った。クロスビーはすぐに自分のラジオ番組でそのレコーダーを使い、開発したアンペックスという小さな企業に、5万ドルを提供して、そのレコーダーを市販する開発を進めさせた。

その後、アンペックスはビデオテープ関連の録画機器を開発し、世界の放送局はソニーかアンペックスのいずれかの機材を導入するという黄金期を迎える。クロスビーの資金提供は、自分の必要から生まれたものだが、結果的に、「素晴らしい技術をもったスタートアップ企業に投資する」というシリコンバレーの投資家のさきがけとなった。ビング・クロスビーは、シリコンバレーの最初のエンジェルの一人なのだ。クロスビーが蒔いたこの種は、成長し、やがて大きな実を実らせることになった。

アタリが創ったシリコンバレー文化

シリコンバレーの成り立ちには、さまざまな要因があり、ひとつの物語にまとめることはむずかしい。もともとは、気候が温暖であるため、果物の一大産地で、農業以外の目立った産業はなにもない地域だった。

スタンフォード大学があったとこは大きな要因だっただろう。その卒業生であるウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカードが、計測器を開発する会社ヒューレット・パッカードを創業したことも大きな要因になっただろう。

そこに、トランジスターを発明したノーベル賞受賞者ウィリアム・ショックレーが、母親の実家が近いという理由で、マウンテンビューにショックレー半導体研究所を設立した。この研究所には、若き工学の天才たちが集結し、後にフェアチャイルド・セミコンダクター、インテルなどを創業していくことになる。こうして、シリコンバレーに人材が集まり始めた。

同時に、サニーベールにある海軍飛行場に、ロッキードの開発部門が設立された。潜水艦から核ミサイルを発射するポラリスミサイルを開発するためだ。これにより、シリコンバレーに莫大な資金が流れこみ始めた。

スタンフォード大学とヒューレット・パッカードという土壌があるところに、ショックレーによる人材とポラリスミサイルによる資金という養分が与えられた。こうして、シリコンバレーは芽を吹いていくことになる。

そこから、さまざまなスタートアップ企業が生まれ、シリコンバレーのイノベーション文化を醸成していくことになるが、その源になったのが、ノーラン・ブッシュネルが創業したアタリだ。「アタリ」という囲碁用語から社名をとり、社のロゴは富士山をかたどったものというユニークな企業で、「ポン」や「ブロック崩し」といった名作ゲームを開発し、ビデオゲーム市場を創った。

社内は自由な空気に満ちていて、服装は自由、仕事中に遊んでもかまわない、会議は大きなジャグジーでおこなうなど、今日のシリコンバレーの文化をも創っていった。アタリ出身者は次々と起業した。スティーブ・ジョブズがアップルを創業し、ジェイ・マイナーがアミーガを創業した。アタリ文化の洗礼を受けた者=アタリアンたちが、次々とスタートアップ企業を創業し、アタリ文化をシリコンの谷に蒔いていった。

ノーラン・ブッシュネルが創業したアタリは、シリコンバレー文化の故郷なのだ。

無線とロケットに夢中な子ども時代

ノーラン・ブッシュネルは、1943年2月に、ユタ州ソルトレイクに近いクリアフィールドで生まれた。父親は、さまざまな職を転々としていたが、家の経済状態は悪くはなかった。ごく普通の中流家庭に生まれたと言っていいだろう。

ノーランは、賢い子どもで、数学やパズル、SF、工作などが大好きだった。10歳の頃からアマチュア無線を始め、電機工作に熱中していた。12歳のときには、ロケットづくりに夢中になった。それも、ちゃんとしたエンジンを搭載した液体燃料ロケットに夢中だった。

ロケットには、固体燃料方式と液体燃料方式がある。固体燃料方式は、金属の筒に火薬を詰め、それに点火するという単純な仕組みで、ロケット花火と基本的には同じ構造だ。一方で、液体燃料方式は、液体燃料タンクと酸化剤タンクの2つが必要で、これをポンプで適量に配合し、点火するという複雑な構造になっている。燃料は液体水素、酸化剤は液体酸素などが使われる。明らかに子どもの工作のレベルを超えている。

ところが、実は単純な構造である固体燃料ロケットの方が、つくるのはむずかしいのだ。固体燃料は火薬の塊なので、いったん点火してしまうと燃焼を制御することができない。しかも固体燃料を均質につくらないと、燃焼に乱れが生じて、飛翔方向がずれていくことになってしまう。均質にするのは、技術というよりも職人技の世界で、膨大なノウハウを積み上げる必要がある。ノーランは、このようなことに気がついて、液体燃料方式を選ぶほど聡明な子どもだった。

手数料を1/10に値下げして、テレビ修理でかせぐ

しかし、ノーランはロケットづくりで大きな成果を出すことはできなかった。なぜなら、ノーランの父は小遣いというものを一切くれなかったからだ。これは米国の家庭では珍しくない習慣だった。多くの場合、自宅の芝刈りや大掃除、ベビーシッターなどの手伝いをして、それに対する対価として小遣いをもらう。あるいは、近所の知り合いの家で手伝いをして対価をもらうというのが一般的だ。富裕層の家庭では、ローティーンの頃から親の口座を借りて、貯めた小遣いを株式などに投資する子どもも珍しくない。

そのため、ノーランもなにか仕事をしなければならなかった。ノーランは、自分の特技である家電製品の修理をすることにした。修理対象は、テレビ、洗濯機、食器洗い機の3つだ。簡単な故障が多く、直せた場合に料金をもらい、直せなかった場合は料金をもらわないというアルバイトだった。

ここで、ノーランは商売の才能を発揮する。テレビの故障では、真空管が切れているだけのことが多く、電機部品店で真空管を買ってきて交換し、手数料と真空管の代金をもらうということが多かった。ところが、手数料の相場は5ドルだったが、真空管の価格は一般的なもので20ドルもしたのだ。

ノーランは、アマチュア無線でたびたび通った電機部品店にいき、安く真空管を手に入れる方法はないか、相談をした。すると、大量に真空管を消費する企業がまとめ買いをしていて、その場合の1本あたりの価格が半分程度になることを教えてもらった。ノーランは店主と話をつけて、そのような大量購入分の真空管を半額で分けてもらえるように話をつけた。これで真空管を10ドルで仕入れ、顧客からは20ドルが請求できるようになった。一方で、手数料の5ドルは一気に50セントまでディスカウントした。このため、町中の人がプロの業者ではなく、ノーランに修理を頼むようになった。手数料は50セントにしかすぎないが、真空管の交換があれば10ドルの利益になるのだ。

ノーランの人生を決めたラグーン遊園地

15歳のとき、父が突然死んでしまった。コンクリートを扱うビジネスを始め、ようやく父の人生が落ち着き始めた矢先だった。父の生命保険金が下りたために、家族の生活に不安はなかったが、ノーランは学費は自分でだそうと考えた。そのため、家電修理の他に、別のアルバイトもすることにした。将来ディズニーランドで働きたいと考えていたノーランは、近くのラグーン遊園地でアルバイトをすることにした。

最初の仕事は、アーケードゲームの前に立って、大声で口上を述べ、客を呼びこむ役目だった。そのアーケードゲームというのは、牛乳瓶がピラミッド状に積み上げてあり、客がゴムボールを投げて、牛乳瓶をすべて台から落とすと景品がもらえるというものだった。

縁日の遊戯の通例にしたがい、このゲームも成功することはほとんどできないように仕組まれていた。上に積んだ牛乳瓶は簡単に落ちるものの、下の牛乳瓶は倒れるだけで台からはなかなか落ちない。客が寄りつかないときは、ノーランは座りの悪い不安定な牛乳瓶を下に積み、客の前で鮮やかに崩して見せ、客がお金を出すと、座りの悪い瓶を上に積んだ。そうやって稼いだゲーム代の一定割合がノーランの収入になるので、あの手この手で客を呼びこむ工夫をした。

その後、ノーランが電機製品の修理が得意であることが知られるようになると、ノーランはさまざまな遊具の修理も担当するようになった。大学生になると、いくつかのゲームの経営を任されるようになり、ノーランはアーケードゲームがどのくらい儲かり、お客はどのようなゲームにお金を出すのかを身体で学んでいくことになる。ノーランは、ラグーン遊園地での体験が自分の一生を決めたと語っている。

スペースウォーとの出会い

地元の高校を卒業したノーランは、ユタ大学の電気工学科に進学した。将来はすでに決めていた。ディズニーランドに就職をして、アニマトロニクス(生体ロボット、この場合は機械仕掛けで動く着ぐるみ)を開発する仕事に就きたかった。

しかし、ユタ大学のコンピューターの授業で、ノーランの人生を変えてしまうひとつのゲームに出会うことになる。それがスペースウォー!だった。1962年に、MITのラッセルがつくった世界最初のコンピューターゲーム(異説はあるが、広く知られるようになったゲームとしては、スペースウォー!が初めて)だ。

PDP-1で稼働するスペースウォー! Photo by Wikipedia

当時、大学などで広く使われていたDEC社のミニコンピューターPDP-1の上で動くもので、2人がそれぞれ宇宙船を操作して、相手を爆破するというシューティングゲームだ。ポイントは、画面の中心に太陽という重力点が存在することだ(ブラックホールと考えた方が理解しやすいかもしれない)。宇宙船や発射されたミサイルは、中心の太陽の重力によって軌道が歪められていく。それを見越して、宇宙船を操縦しなければならないし、ミサイルの発射方向を考えなければならない。ここがこのゲームのポイントになっている。学生があまりにも熱中するため、DEC社では、このスペースウォーのプログラムが記録された紙テープを、PDP-1にサービスで添付して販売したほどだった。ノーランが触れたのも、このようなサービスで添付されたスペースウォー!だった。

ノーランは、このスペースウォー!を見るなり、これをコイン式にして遊園地に置けば、人気のアーケードゲームになると感じた。しかし、スペースウォー!はミニコンピューター上で動く。どう考えても制作に20万ドルはかかってしまう。当時、アーケードゲームのほとんどは1回25セントだった。つまり、そのままスペースウォー!を開発しても、開発費を回収するまでに80万回はプレイしてもらわなければならない。1回2分で、1日200回プレイされたとして、開発費を回収するまでに40年かかる計算になる。間違いなく、開発を回収する前にゲーム機が壊れてしまうだろう。ノーランは、スペースウォー!を商品化することをあきらめた。

ディズニーランドへの就活に失敗する

1968年にユタ大学を卒業したノーランは、ディズニーランド(ウォルト・ディズニー・カンパニー)に就職活動をしたが、結果は不採用となった。しかたなく、テープレコーダーを製造しているアンペックス社にエンジニアとして就職したが、ノーランはいつまでもアンペックスにいるつもりはなかったようだ。アンペックスでは、すでにビデオテープレコーダーを開発しており、品質を上げ、テレビ局などに本格的に売り込みを図るため、大量にエンジニアを採用していた。そのため、ノーランは潜りこむことができた。しかし、ノーランがアンペックスの仕事に興味をもっていないことをアンペックス側もわかっていたようで、ノーランが配属されたのは、これ以上ないというほど暇な部署だった。というより、研修と技術学習以外、これといった仕事が与えられなかった。ノーランは暇で仕方がなかった。

そこで出会った同僚がテッド・ダブニーで、2人とも囲碁が大好きなことから、すぐに意気投合した。2人は、仕事中にも囲碁で遊んだ。専用の囲碁盤をつくり、これを2人のデスクの間においた缶の上に乗せて、仕事をさぼって囲碁で遊んでいた。上司が部屋に入ってきたときは、その囲碁盤ごと棚の上に乗せてしまう。上司が去っていくと、再び囲碁盤を取りだして、続きを楽しむのだった。
 
(その2に続く)




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