連載:ハッカーの系譜⑦ビル・ゲイツ (1/7) 1秒間に63ドル稼ぐ男のハッカー時代

牧野武文

August 9, 2016 10:30
by 牧野武文

ビル・ゲイツというと、だれもが思い浮かべるのが「世界一の大富豪」。フォーブズの世界長者番付では、1994年から2006年までの13年間、1位であり続けた。現役を引退してからは、自分の資産を猛烈な勢いで、将来有望な分野に寄付、投資しているが、ゲイツの見通しが的確すぎて、投資先が次々と成功し、減らしたいはずの資産がどんどん増えてしまい、困り果てているという状態になっている。2014年には、推定資産810億ドル(約9兆7000億円)となり、再び番付第1位に返り咲いてしまった。

20歳からお金を稼ぎ始めて、60歳で810億ドル稼いだとすると、年に20.25億ドル、月給1億6800万ドル、日給560万ドル、時給23万ドル、分給3800ドル、秒給63ドルとなる。63ドルは7000円程度なので、もしビル・ゲイツが道を歩いていて1万円札を落としたら、それを拾う方が得なのか、無視をして前に進んで仕事をした方が得なのか、判断に迷うことになるだろう。

多くの人が、ビル・ゲイツを富豪として、マイクロソフトの創業者として尊敬しているだろう。しかし、彼は元々はプログラマーだった。コンピューターのプログラミングの世界に魅せられて、朝も夜もプログラミングに熱中したハッカーでもあった。

楽をするためであれば、どんな苦労も厭わない

ビル・ゲイツはプログラマーとしてはたいしたことがないが、経営者としては超一流」と言う人がいる。確かに、ゲイツは、新しいアルゴリズムを生みだしたわけでもないし、自らの手で開発したBASIC、MS-DOSも、創作ではなく、既存の製品の移植という色合いが濃い。しかし、それはプログラミングの教科書すらどこを探してもない時代に、教えてくれる者も一人もいない状況で、手探りで数々のソフトウェアを生みだしていったことは、じゅうぶんに独創的といっていっただろう。巨人の肩に乗って遠くまで見渡すことができる私たちの目から見れば、往々にして先駆者の仕事は軽く見てしまいがちであることを忘れてはならない。

ゲイツは「プログラマーというのは、楽をするためであれば、どんな苦労も厭わないものだ」という言葉を残している。名言だと思う。ハッキングやプログラミング、エンジニアリング、理系の研究などの本質をついた金言だ。この一言だけを見ても、ゲイツには充分すぎるほどのハッカー体質が備わっていることがわかるのだ。

ハッカーからビジネスマンへ

ハッカー体質を備えて生まれてきたゲイツは、途中からテクノロジーからビジネスに興味を移していく。それはあたかもアゲハ蝶の幼虫が蛹になって、羽化をするかのように見事な変身だった。

ハッカー時代のゲイツの盟友は、ポール・アレンだった。ともにコンピューター室で夜を明かし、いっしょにBASICをつくり、MS-DOSのビジネスを成功させた。しかし、ゲイツがビジネスを志向しだすと、アレンはゲイツに別れを告げて去っていく。代わりに盟友になったのが、ハーバード大学で知り合ったスティーブ・バルマーだった。

ハッカー時代、ゲイツは多くの仕事をしているが、報酬として欲しがったのはCPUタイムだった。当時は、まだパーソナルコンピューターというものが存在せず、プログラミングをするには、大型コンピューターのタイムシェアリングシステムを使うしかなかった。計算をさせると、1秒につきいくらかの課金が必要になった。ゲイツは、仕事をする代わりにこのCPUタイムを欲しがった。自由にコンピューターを使うことができるCPUタイムは、ゲイツやアレンたちのなによりも貴重な通貨だったのだ。

ところが、ゲイツがビジネスを志向するようになると、彼らの通貨ではなく、本物の通貨を欲しがるようになった。ただし、ハッカーの熱量だけはそのままだった。システムの奥深くを執拗に探索するように、マーケットの仕組みを探索し、システム管理者を欺くトリックを仕掛けるかのように有利な契約書を作成し、貴重なデータをかき集めるかのように、富をかき集めていった。

ゲイツは、ハッカー出身の大富豪なのだ。

恵まれすぎた家庭に育ったヤング・ゲイツ

ゲイツが、ハッカーやプログラマーとして認識されない理由は、マイクロソフトのあまりにも大きすぎる成功が最も大きな要因だが、もうひとつは彼が上流階級の出身であることも大きい。ハッカーやプログラマーの典型的なストーリーというのは、下層階級の出身者がデジタル技術に出会い、それに取り憑かれたというものが大半を占める。

1955年10月28日にシアトルで生まれたウィリアム・ヘンリー・ゲイツ三世(名前に三世などという伝統を感じさせるものがつくハッカーなど、ゲイツ以外にいない)の家庭は、伝統的な上流階級というわけではなかったが、両親はじゅうぶんな成功をし、上流階級の仲間入りを果たしていた。父、ビル・ゲイツ二世は弁護士で、共同で法律事務所を経営していた。母メアリーは折り紙つきの上流階級のお嬢さんだった。祖父はシアトルのパシフィックナショナル銀行の副頭取。孫に100万ドルの信託財産を残した。母メアリーは、道を歩くだれもが振り返る美人で、ワシントン大学ではチアリーダーをやっていた。同級生には、後に政治家、企業家として成功した人物が山ほどいる。

結婚したときは学校の教師をしていたが、ゲイツが誕生すると、仕事をやめ、育児に専念した。そのかたわら、慈善団体「ユナイテッドウェイ」に関わるようになり、しだいに人脈を活かして企業や富裕層から寄付を募る活動をするようになる。その縁で、メアリーはいつの間にか、ファーストインターステート銀行やパシフィック・ノースウェスト・ベル社の取締役に加わっていた。さらに、ワシントン大学初の女性理事となり、ユナイテッドウェイでも初めての女性理事となった。お金があり、人脈があり、才能があり、美貌がある。どこにいても、なにもをしても、メアリーを支援する人が現れ、たちまち成功してしまうような女性だった。

両親とも忙しい家庭だったが、夕食は必ず家族一緒にとることになっていた。そのような上品な家庭にゲイツは生まれた。

いちばんでなければ、ビル・ゲイツではない

そのような恵まれた環境に育ったゲイツは、典型的な優等生だった。7歳の頃には、ワールドブック百科事典を読破してしまっていたという。学校に通う頃には、いつも目を輝かせた、自信に満ち溢れた子どもになっていた。ゲイツを支配していたのは「いちばん」ということだった。ゲイツは、なんでも「いちばん」でないと気がすまず、楽器の演奏でも作文でも宿題でも、全力をだして、いつも教師から賞賛と驚嘆の声をかけられることになる。

才能も豊かな子どもだった。生まれたときから、ゲイツは自分より優れた同年代の子どもを見たことがなかったので、ゲイツの中では、いちばんになるのが当然のことだった。もし、二番に転落することなどが起きたら、自分はビル・ゲイツではなくなってしまう。この「いつもいちばん」が、一生を通じて、ゲイツの人格形成に関わってくることになる。ゲイツがビル・ゲイツであるためには、「いちばん」でなくてはならないのだった。

すべてに全力を尽くすヤング・ゲイツ

しかし、この生まれもった豊かな才能と、恵まれた環境だけであれば「十で神童、二十すぎればただの人」になりかねない。実際、子ども時代は神童といわれながらも、成年後に転落し、さえない人物になってしまう例は多い。ゲイツがそうならなかったのは、両親のおかげだった。両親は、ゲイツが小さい頃から、豊かすぎる才能をもっていることに気がついていた。親の欲目ではなく、公平に見て、天才児だと思っていた。しかし、両親が心配したのは、天才児はそのありあまる才能のゆえ、交際範囲が極端に狭くなり、世間一般の社会常識を身につけることなく大人になり、世の中とうまくやっていくことができず、それが障害となって、自分の才能を活かす場所を見つけることができなくなることを心配していた。

そこを心配した両親は、ゲイツが小さい頃から、積極的にさまざまな交友の機会、さまざまな経験の機会を与えるように努めてきた。両親は、ゲイツがまだ小さい頃から、ボーイスカウトに入隊させた。そこでもゲイツは「いちばん」になろうとした。数日をかけて80キロを歩く夏のハイキング訓練でも、靴擦れで出血しながらも歩き続けた。テニスでも「いちばん」になろうとした。水上スキーでも「いちばん」になろうとした。ピックルボール(シアトルで生まれたテニスと卓球を合わせたような球技)でも「いちばん」になろうとした。

ゲイツ一家は、夏の間はシアトル郊外のオリンピック半島のリゾート地、チリオに避暑にでかけた。そこにはログハウスが何軒もあり、湖とテニスコートがあった。訪れるのは、シアトルの成功者の家族ばかり。そこでゲイツの父親は“市長”に専任されるのが常だった。子どもたちは、いくつものチームに分かれて、毎日“チリオ・オリンピック”と称して、卵投げやリレーといった競争に夢中になった。そこでも、ゲイツはチームメイトを鼓舞し、いちばんになろうとした。

中学で夢中になったコンピューター

小学校を終えると、両親はゲイツをレイクサイドスクールに入学させた。このレイクサイドスクールは、いわゆるプライベートスクールで、通ってくるのは資産家の子弟ばかりだった。中学1年が終わりかける頃、ゲイツは人生を決定づけるあるものと出会うことになる。

レイクサイドスクールでは、教育の一環として、コンピューターの導入を計画していた。しかし、当時のコンピューターは恐ろしく高価で、さすがの上流階級の子弟が通うレイクサイドスクールも購入費用が捻出できない。同じ悩みを抱えている企業、大学、学校は無数にあったので、すぐに「コンピューター時間を販売するビジネス」が始まった。自社でミニコンピューターを1台購入し、顧客となる企業、大学、学校などには必要な台数のテレタイプ端末を購入してもらう。この端末とミニコンを電話回線でつないで、コンピューターを使ってもらう。利用料はコンピューターを動かしている時間=CPUタイムごとに請求された。

レイクサイドスクールでは、コンピューターそのものを購入するのは無理だが、テレタイプ端末であれば購入できる。そこでゼネラル・エレクトリック社がシアトル市内に設置したPDP-10を利用できるサービスに加入することにした。しかし、テレタイプ端末の予算は用意できるものの、使用料にあたるCPUタイムの料金の予算のめどが立たない。それを聞きつけた「レイクサイドスクール母の会」は、自宅のガラクタ(といっても富裕層家庭のガラクタだ)を集め、バザーを開き、3000ドルを集め、学校に寄付をした。学校側では3000ドルあれば、1年分のCPUタイム利用料を支払えると目論んでいた。しかし、学校は、ゲイツがコンピューターに熱中する凄まじさを計算に入れていなかった。

DEC製のメインフレームファミリPDP-10(Photo by Victor R. Ruiz

レタイプ端末を見たゲイツは、すぐにコンピューターに熱中した。授業時間以外はいつもコンピューター室にいるようになったのだ。そこには2歳年上のポール・アレンもいた。コンピューター室に入り浸る数人の生徒は、1台のテレタイプ端末を奪い合うようにして、コンピューターの世界に熱中していった。母の会が用意した3000ドルの資金は、わずか数週間で使い果たされてしまった。ゲイツたち、コンピューター室の生徒たちは、親に頼みこんで、追加のCPUタイム料金を支払ってもらった。親たちも、子どもたちが熱心に新しいテクノロジーを学んでいるのだからと気前よく支払った。

ポール・アレンと出会い、グループを結成

ゲイツが最初に書いたプログラムはニム(三目並べ)だったという。PDP-10ではBASIC言語が使えたので、ゲイツが最初に学んだのはBASICだった。次に、月着陸船ゲームをつくった。燃料がなくならにように節約しながら、着陸船を月面に軟着陸させるゲームだ。さらに、後にはモノポリーの戦略分析をするプログラムも書いている。モノポリーは、すごろくをしながら、止まったマスの不動産などを購入し、資産を増やしていくゲーム。不動産はいくつかのグループに分かれていて、同じ色の不動産をすべて購入すると、他のプレイヤーからレンタル料を徴収できるようになり、資産を大きく増やすことができる。手持ちの資産の範囲内で、効率よく独占(モノポリー)状態をつくるかが勝負のポイントだ。

ゲイツは、モノポリーのゲームをプログラムし、枝分かれする戦略を総当りで実行させ、結果を記録するようにした。どのような戦略を取ればモノポリーで勝てるかを調べるプログラムを書いたのだ。

ゲイツは、このコンピューター室で、プログラミングという生涯を決定づけるものと出会ったが、もうひとつ生涯を決定づけたのが、ポール・アレンとの出会いだった。ゲイツにとって、アレンは初めて「いちばんになれない」ライバルだった。アレンは、2歳年下のゲイツのプログラミング能力に驚き、ことあるごとに挑戦をしていった。「おい、君にはこれをプログラミングできないだろう。賭けてもいいよ!」と、複雑なアルゴリズムを必要とする課題をだしてきて、その多くはゲイツにもお手上げだった。素直に負けを認めると、アレンはゲイツと一緒に議論しながら、その難問をプログラムの形にしていく。

ゲイツにとっては、生まれて初めてのライバルだったが、闘争心を煽られるのではなく、大親友となった。ひとつはアレンの人柄だ。だれにでも笑顔を見せる社交的なアレンを嫌う人はいなかった。ゲイツに対しても、言葉では「君にはこれはまだ無理だろう」などと辛辣なことをいいながらも、言葉のトーンは、ゲイツに対する尊敬と友情が感じられるのだ。

もうひとつは、二人の方向性の違いだった。2人ともプログラミングに夢中だったが、アレンはICなどのエレクトロニクス工作にも夢中で「ポピュラーエレクトロニクス」などの雑誌を愛読していた。しかし、ゲイツの愛読誌はビジネス誌の「フォーチュン」や「フォーブズ」だった。2人は最初から、互いを補う最高のコンビだったのだ。

2人は、コンピューター室で知り合ったリチャード・ウェイランドとケント・エバンズを引き入れて、4人でレイクサイド・プログラマーズ・グループを結成した。プログラミングで、なにか面白いことをやろうじゃないかというグループだ。その面白いことを見つけてくるのがゲイツの仕事だった。「どこかに電話して、僕らがつくったプログラムを売りつけようじゃないか」。ゲイツは3人に提案した。
 
その2に続く

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