ハッカーの系譜⑥ジュリアン・アサンジ (1/8) ウィキリークス「反骨」の原風景

牧野武文

May 31, 2016 10:00
by 牧野武文

「ウィキリークスから子どもたちへーーサンタクロースはいない。枕元のプレゼントは、君のお父さんがアマゾンで買ったものだ」

ウィキリークスにまつわる最も有名なジョークだが、この一行が世間がウィキリークスとジュリアン・アサンジをどう受け止めているかをよく表している。確かにウィキリークスが暴露している内容は本当のことだろう。しかし、口にしてはいけない本当のこともたくさんあるのだ。戦争の真実、国家間の諜報活動の真実、企業間の汚い裏取引。そのようなものは知らない方が、幸せな日常を送れるかもしれない。しかし、幸せであれば知らなくていいのだろうか。不幸せになったとしても、知らなければならないことは知らなければならいのではないだろうか。

ウィキリークスの衝撃は、この哲学的な問題を、地球上すべての人に投げかけている。アサンジの考え方は徹底している。真実は知るべきなのだ。それで不幸な結果を招いたとしても、それは私たち社会の真の結果であり、隠蔽、欺瞞の上に成り立った幸福は、真の幸福ではないのだ。真の幸福に到っする道はただひとつ。極限までの透明性を実現する以外はない。

そのため、保守派の人からは、アサンジは無邪気で悪質な不良少年に見える。後先も考えず、いってはならないことを声高に叫び、その結果、多くの人が傷つこうとも、冷たく嘲り笑うだけの、情報テロリストにしか見えない。一方で、アサンジを熱狂的に支持する人もいる。国家機密を盾に、その裏で腐敗する権力者たちに憤りをもっている市民たちだ。いったんすべてを公開し、この世の隅々まで秘密にサーチライトをあて、すべてを陽にさらすことで、理想的な社会が訪れる。アサンジは、孤軍奮闘しながらその仕事を進めているヒーローなのだと。

アサンジは、少年時代、典型的なハッカーだった。違法ハッキング行為で起訴されたこともある。成長すると、ウィキリークスのような政治的な行動に興味をもつようになり、ついには虎の尾を踏む。米国政府を怒らせ、現在はロンドンのエクアドル大使館から一歩も外にでられない状態になっている。

いったいアサンジは、秘密の暴露を無邪気に楽しんでいるただのハッカーなのだろうか、それとも、未来の社会=人類社会2.0を築くための大掃除をしている救世主なのだろうか。

市民運動家だった母クリスティーン

アサンジという風変わりな名前は、アサンジ本人の説明によれば中国由来なのだという。アーサン(阿桑=桑さん)が元々の名前で、アサンジの5代前は台湾の海賊だった。この海賊がニューギニアの木曜島にたどりつき、島の娘と結婚、それからオーストラリアに渡った。オーストラリアでは、中国人であるという理由で厳しい差別にあい、そのために名前を西洋風に改めた。それがアサンジ家の始まりだ。ただし、アサンジはアサンジ家の血は引いていない。アサンジは、自由奔放すぎる母クリスティーンにより、複雑な子ども時代を送った。

ジュリアン・アサンジは、1971年7月3日、オーストラリアのタウンズビルで生まれた。オーストラリア北東部、グレートバリアリーフに面した人口18万人の町だ。実父は映画産業で働き、母は画家だった。両親は、シドニーのベトナム戦争反戦デモで知り合った。しかし、二人の仲はすぐに終わった。アサンジの実父は結婚するつもりでいたが、母のクリスティーンは結婚などしたくなかったからだ。

アサンジが2歳のとき、母のクリスティーンは、ブレット・アサンジと出会い、恋に落ち、結婚した。そのため、ジュリアンはアサンジの姓を得た。ブレット・アサンジは、ミュージシャンで移動劇場を運営していた。

母のクリスティーンは、活動家というわけではなかったが、反体制運動が好きだった。ウラン採掘に反対する近隣住民、イルカを傷つける定置網に反対する市民グループ、熱帯雨林の伐採に反対する学生たち。それが母の仲間だった。

「この世は悪意に満ちている」

アサンジがまだ幼い頃、一生心に刻みこまれることになる経験をした。アサンジ一家は、タウンズビルから船で20分ほどのマグネティック島に、週12オーストラリアドル(約千円)で家を借りていた。両親はいつも水着姿で、砂浜でヨガの瞑想をし、幼いアサンジはマングローブの森の中を探検していた。マグネティック島は住人が2000人ほどで、島民は古い習慣の中で生きていた。その中で、自由に生き、夫婦そろって反対制運動に熱中する“先進的な”若者は異質だった。

あるとき、アサンジ家の家が火事になった。20人ほどの島民が集まってきたが、消火活動をするわけでもなく、ただ眺めているだけだった。アサンジの記憶によると、笑いを浮かべる者もいて、すべてが悪意に満ちていたという。消防団が到着したのは40分後のことで、家はほとんど全焼に近い状態になった。「地元の人々は、暗黙のうちに何かを訴えて天の裁きを待つという考え方にある種の喜びを見いだしていたようだ」とアサンジは自伝で述べている。アサンジが幼いころの記憶なので、事実が本当にそうであるかどうかはわからないが、アサンジは、世の中というのは、自分たちの気に入らない者の不幸に対しては、手を差し伸べないものだし、消防団という行政機関ですら意地の悪いことをすることがあるのだと感じたという。

アサンジは正義感の強い子どもではあったが、気に入らないことがあるとすぐに行動を起こす厄介な子どもでもあった。6歳のとき、夕食の支度をしていた両親がトマトが足りないことに気がついた。隣のイタリア人の家にはいつもたくさんのトマトがあるので、母が少し分けてくれないかと声をかけてみたが断られた。隣の家には隣の家の事情があったのだろう。しかし、子どもだったアサンジにはこれが許せなかった。「あんなにたくさんのトマトがあるのに、少しくらい分けてくれたっていいじゃないか」と感じたのだ。

アサンジは友だちに手伝ってもらい、自分の家と隣の家の庭をつなぐトンネルを掘った。そのトンネルを使って、隣の家からバケツ2杯分のトマトを盗んできたのだ。もちろん、すぐに警察沙汰となり、犯人も誰であるか明らかなので、アサンジ家に2人の警官がやってきた。警官も、子どもがやったことだからとおおごとにするつもりはなかったようだ。しかし、トマトはすぐに返さなければならない。アサンジは、バケツ1杯のトマトを警官に渡し、この問題は落着した。しかし、もう1杯分のトマトはしっかりと隠して、とっておいたのだ。

反抗するために反抗する

学校ではあらゆることに反抗した。髪の毛は長髪にしていた。校則に違反しているからだ。靴ひもは、靴の穴に通さず、足首に巻きつけて固結びにしていた。教師がその風変わりな靴の履き方を注意するからだ。教師が靴ひもの件をあきらめて無視するようになると、今度は靴を脱ぎ捨てて裸足で登校した。思想などない。理由もない。ただ、反抗するために反抗していた。

9歳のとき、母クリスティーンと義理の父であるブレット・アサンジが離婚した。アサンジの中ではブレットが父親だった。自然豊かな郊外に住み、毎日が冒険だった。太陽と大自然とアートと音楽。それがアサンジの子供時代の環境だった。しかし、この離婚で、母クリスティーンは、オーストラリア東部の町リズモアのアパートに引っ越し、劇団に出演して生活を支えるようになった。アサンジは町の暮らしが窮屈でならなかったし、一ヵ所に定住することも退屈に感じていた。しかし、ほどなく、アサンジと母はオーストラリア中を逃げ回らなければならなくなるのだ。

母の新しい恋人は、レイフ・メイネルという男だった。しかし、それが本名であるかどうかはわからない。なぜなら、財布の中には異なる名義のクレジットカードが何枚も入っていたからだ。ギタリストだと名乗っていたが、仕事をしている様子はなく、ザ・ファミリーという教団のメンバーだった。犯罪に近い方法で子どもたちを集め、小さなころからLSDを与えて、おかしな思想を植えつけるようなカルト教団だった。

母は家を出て、メイネルの暴力から逃げ始めた。しかし、どこに逃げてもメイネルは居場所を突き止めて、しつこく追いかけてくる。カルト教団、ザ・ファミリーのメンバーは、社会保障関係の公的機関の中にも浸透していて、そこから引越し先が明らかになっていたため、母クリスティーンは改名までした。アサンジは転校ばかりすることになり、まともに学校に通うことができず、通った学校は合計で37校にもなったという。

その代わり、アサンジはどこに引っ越しても、地域の公立図書館に足を運んだ。小さな図書館の本をあらかた読んでしまうこともあった。アサンジにとって、図書館が学校で先生は自分だった。

見えないソフトウェア開発者との闘い

そんな悲惨な逃亡生活をしながらも、アサンジはデジタルテクノロジーに目覚めていった。最初は9歳のときにリズモアの電気店の店先で見つけたコモドール64だった。

当時のホームコンピューターは買ってきてもすぐに遊ぶことはできない。現在のスマートフォンやタブレットのように、基本的なソフトが最初から入っているわけではないのだ。スイッチを入れると、無機質なプロンプトだけが表示され、そこに自分でプログラムコードを入力しなければなにも始まらない。

アサンジはこの無機質でそっけないプロンプトに魅せられた。自分でプログラムをしなければならないが、素晴らしいアルゴリズムを思いつけばコンピューターはなんでもこなしてくれる。世の中のすべてをアルゴリズムに変換して、自分の目の前にある小さなホームコンピューターの中で再現できるのだ。逃亡生活を続けている間も、コモドールとフロッピーディスクだけは常に持ち歩いていた。

自分でさまざまなプログラムがつくれるようになると、次に夢中になったのが、市販プログラムの改造だった。市販されているソフトウェアを購入(多くは友人から違法コピー)して手に入れては、そのできの悪さをせせら笑い、自分で改造してしまうのだ。初期のソフトウェアは、BASICなどのプログラミングコードがそのままファイルとして保存されているだけなので、簡単に改造ができた。改造したプログラムは「本物よりできのいいソフトウェア」として、友人の間で回覧する。

自分たちがつくったソフトウェアが簡単に改造されて、しかも笑いものになっていることに気がついたソフトウェア開発者たちは、あえてプログラムコードを複雑にして、アルゴリズムが簡単には理解できないようにし、改造を防ごうとした。ソフトウェアが完成したら、不必要で意味のないジャンプ命令を挿入して、プログラムコードを絡まった毛糸のようにして、アルゴリズムをたどろうとしても、たどれないようにしたのだ。

アサンジは、その残飯のようなスパゲティコードを発見すると、得体のしれない快感が身体の中に宿ったのを感じた。自分がプログラムを“改良”したことを、ソフトウェア開発者は迷惑に感じ、二度と“改良”ができない浅知恵を使ってきた。アサンジは挑まれていると感じた。どこに住んで、どんな顔をしているかもわからないソフトウェア開発者との戦争が始まったのだと感じた。

16歳でハッカーコミュニティーの中心に

ジャンプ命令を使って、プログラムをスパゲティ化するなどという小手先の防御策は、アサンジにとってはお誂え向きの頭の体操だった。ジャンプ命令を丹念に追い、ソフトウェアの“ダサいアルゴリズム”を見つけだし、改良することなど簡単なことだった。アサンジは、改良が終わったソフトウェアに、さらに大量のジャンプ命令を挿入して、ソフトウェア開発者が、どこをどう改変されたのかわからない状態にして、友人に配り、それがソフトウェア開発の手元まで届くことを想像してせせら笑った。

すると、ソフトウェア開発者たちは、プログラムコードを暗号化して販売するようになっていった。さらには、暗号化を解こうとするとファイルの内容が破壊されたり、コンピューターのOSを書き換えて損傷させたりするような仕掛けも考案された。こうなると一人ではなかなか解読できなくなり、同じようなことをしている少年たちと連絡を取り、情報交換をするようになり、しだいにゆるやかなハッカーコミュニティーのようなものがアサンジを中心に生まれていった。

少年ハッカーたちの技術と知識が上がれば、ソフトウェア開発者たちも新しい罠を考案する。16歳のころには、アサンジはそのようなコミュニティーの中で一目置かれる存在になっていた。

アサンジのネットワークはオーストラリアだけでなく、米国、スウェーデン、フランスにまで広がった。電子メールがまだ使えない当時、彼らはフロッピーディスクを郵便で送り合うことで連絡をとっていた。もちろん、郵便切手の消印を消す方法があっという間に広がり、当時はまだ高かった国際郵便料金も支払わずに、連絡を取り合っていた。
 
(敬称略/全8回)

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