連載:ハッカーの系譜①スティーブ・ウォズニアック (6/6) 「親友」ジョブズとの奇妙な関係

牧野武文

June 17, 2015 11:00
by 牧野武文

ウォズは、スティーブ・ジョブズとともに、若くして億万長者となった。しかし、ウォズはお金や地位に執着するタイプではなかった。アップルが株式公開をした際には、アップルの経営陣は自分たちだけに株を割り当て、全員が億万長者となったが、社員には株を買わせなかった。

しかし、ウォズは共に頑張っている社員が株式公開の利益を得られないのは不公平だと考え、自分の持ち株の中から1人2000株までを1株5ドルで販売した。「ウォズ・プラン」と称して。上場時の公募価格は22ドルで、公開後株価はうなぎのぼりに上がっていったから、ウォズ・プランに参加した社員は資金を5~6倍にすることができ、それで子どもを大学に進学させたり、家を買ったりするものも多かったようだ。

アップルが株式公開した理由

ただ、このことはジョブズの怒りを買ったし、その他の経営陣からも諫められた。なぜなら、アップルの株式公開はそれほど簡単なことではなかったからだ。株式公開当時のアップルの主力商品は、ウォズが開発したApple IIだけだった。次世代マシンとして、Apple III、Lisa、Macintoshの開発が始まっていたが、どれもまだヒット商品になるかどうかは未知数だった。事実、この3つのプロジェクトは全て製品化されたが、どれもセールスには失敗している。唯一、数年がかりでMacintoshが売れ行きを伸ばしたとこで、アップルはなんとか命脈を保ったと言える。その間には、何度も買収危機や倒産危機に見舞われている。

この当時、アップルという企業を買収したいと考える大企業は多かった。ゼロックス社もその1つで、有名なジョブズのパロアルト研究所訪問――パロアルトで開発されていたAltoのグラフィカルなインターフェイスをジョブズはそっくり盗んだとの説がある(これは事実ではない)――も、ゼロックス社の方からジョブズに訪問を促していた形跡がある程だ。ゼロックス社は自社の研究をジョブズに明かし、その研究成果を利用したければ子会社化になることを求めていたとも言われる。事実、ゼロックス社はこのジョブズのパロアルト訪問の見返りとして、アップルの非公開増資に参加し、株主の一員となることに成功している。

ゼロックス社が開発した「Alto」 Images By Computer History Museum

一方で、ジョブズとアップルの経営陣たちは、このような大企業の動きを非常にに警戒していた。最悪の場合、資本力を武器に、アップルが乗っ取られかねないからだ。そこまでいかなくても、自分たち以外に大株主ができてしまうと、アップルの運営が自主的に行えなくなるだろう。しかも、その運営は、官僚的なものになるに決まっている。まだ、若いアップルというスタートアップ企業にとって、それは”即死”を意味する。そのため、市場はアップルが株式公開をすることを期待していたが、ジョブズはなかなか株式公開をしようとしなかった。新たな資金は、非公開の増資ということで集めていた。

ところがウォズ・プランは、ジョブズが苦慮して練ったアップルを”敵”から守る施策をまったく無意味にしかねないものだった。当時の米国の証券関連の法律では、株主数が500人以上になった場合は、株式非公開の企業であっても、株式を公開している企業と同じレベルの報告を証券取引委員会に行うことが義務づけられていた。つまり、上場していないのにも関わらず、株主が誰であるかを公開しなければならないのだ。アップルに資本参加したい企業や投資家にとってみれば、そのリストさえ手に入れば、市場に出ていないアップル株を株主と直接交渉して購入できるチャンスが生まれることを意味する。結果として、このウォズ・プランが株主の人数をあっという間に500人以上に増やし、ジョブズが株式公開を決断せざるを得なくなる状況をうんだとも言える。

飛行機事故と事実上の退社

その後もウォズは経営陣には入らず、エンジニアとして開発現場にとどまった。ジョブズたち経営陣は、スーツを着て、豪華なクッションの椅子に座って仕事をするようになったが、ウォズは相変わらず安もののシャツやTシャツを着て、硬いベンチに座ってはんだごてを握っていた。それだけ現場にいることが好きだったからで、もし現場から引き剥がされて経営をしろといわれたら、アップルを退職するつもりだったと後に語っている。

そんな心優しきハッカーにも、運命は非情だった。1981年2月7日、ウォズは自家用小型飛行機でサンタクルーズ・スカイパークから離陸しようとした際に大事故を起こし、5週間入院するほどの怪我を負ってしまう。ウォズはこの事故の後遺症で健忘症になり、エンジニアとしての第一線を退いたと言われていたが、事実は少し異なっているようだ。彼の自伝によると、この時患ったのは前向性健忘症であり、事故時の記憶がなくなり、新しいことを覚えられなく症状だったという。ただ、これは一時的なものであり、5週間後には元に戻ったと書かれている。

その後しばらくの間、ウォズはアップルの仕事から離れ、ウッドストックの再来を夢見て野外フェス「USフェスティバル」に私費を投じるなどしている。1982年のUSフェスティバル第1回には、ラモーンズ、B-52s、トーキング・ヘッズ、ポリス、サンタナ、カーズ、キンクス、パット・ベネター、グレイトフル・デッド、ジャクソン・ブラウン、フリートウッド・マックといった時代を代表するアーティスト19組が3日間にわたって出演した。翌1983年に開催され第2回でも、ストレイ・キャッツ、ヴァン・ヘイレン、スコーピオンズ、オジー・オズボーン、デビット・ボウイ、プリテンダーズ、U2などの豪華な25組のアーティストが登場している。ただし、興行的には大失敗だった。観衆はそれぞれ累計30万人にもなったが、そのほとんどが、偽造チケットで入場したり、不法侵入した者たちだった。さらに、ドラッグの急性中毒で病院搬送されたものが12人、いざこざなどで警察に逮捕されたものが350人という有様で、ウォズは第1回で800万ドル、第2回で2000万ドルを失った。それでもウォズは上機嫌だった。

1983年6月、ウォズはアップルに復職する。事故のリハビリやUSフェスティバルの主催などで、2年間の休職を経てのことだった。そこでも、望んだのは開発現場での仕事だった。最初の仕事は、Macintosh用のマウスをApple IIcで使えるようにするという小さな仕事だった。それをこなして、現場の勘を取り戻すと、ウォズは大きなプロジェクトに挑む。Apple IIxの開発だ。これは、なんとプロセッサが交換でき、Apple IIとして動かすことはもちろん、IBM PCやMacintosh用のソフトウェアも動作できるというものだった。

ところが、このプロジェクトは、ジョブズによって潰される。Macintoshの発売を迎えていて、Macintosh以外でもソフトウェアが動かせるとなると、Macintoshの売上に影響するという理由からだった。1984年1月にMacintoshが発売されると、アップルは全社一丸となりMacintoshのセールスに集中した。ウォズにはそれが不満だった。いまだにアップルの売上の7割は、Apple IIシリーズだったからだ。

1985年の株主総会の後、ウォズは珍しくジョン・スカリー社長に怒りをぶつけている。「第3位の株主として言わせてもらいますが、私は怒っています」と。収益の源であるApple IIを大事にしない会社の姿勢を批判して、辞表を提出した。形式的にはスカリーの配慮で、年俸2万ドルの技術コンサルタントとして籍は残されたものの、事実上の退社だった。

親友ジョブズの冷たい仕打ち

退職後、ウォズは中退していたカリフォルニア大学バークレー校に戻り、電子工学の学位を修得した。また、学習リモコンを開発するCL9(クラウド9)を起業したりもしている。設立資金は、所有していたアップル株のほとんどを売却して作ったようだ。ある意味で、この時にウォズとアップルの縁が切れたと言えるかもしれない。

そんなウォズに対し、ジョブズは冷たかった。ウォズはCL9で開発していた学習リモコンのデザインを、アップル時代によく一緒に仕事をしていたフロッグデザインに頼んでいたのだが、ある時ジョブズがフロッグデザインを訪問し、偶然CL9のデザイン画を目にする。そして怒ったジョブズは、フロッグデザインに対しCL9の仕事をしないように求めた。「アップルのデザイン言語をウォズの製品に使われたくない」というのが理由だった。フロッグデザインとしても、最大顧客のアップルの要求を拒むわけにはいかなかった。

しかし、ウォズがアップルを去ってから半年後、ジョブズも権力闘争に敗れてアップルを追放される。二人の創業者が去り、Macintoshの売れ行きも伸び悩んでいたアップルに対し、世間の評価は大きく下がって行った。アップルの株が下がり続ける中、ジョブズは大量のアップル株を売却。いち早く沈没船から逃れようとした。だが、ウォズは同時期に大量のアップル株を購入している。
「投資目的ではない。そうすることが正しいからだ。アップルは魅力的な企業だ。士気が上がれば、アップルの製品もいい方向に向かっていく」
ウォズのその判断は正しかった。およそ15年後、iPodが登場するとアップル株は急上昇する。ウォズは再び大金を手に入れることになった。

ジョブズのウォズに対する冷たさはその後も続く。同時にアップルの1990年代後半は散々だった。Macintoshが異彩を放つものの、次世代OSの開発を巡って迷走し、倒産か買収かが免れないだろうというところまで追いこまれていた。その最悪の時期を救ったのはジョブズだった。ジョブズは追放後に設立したNeXTコンピューターのOSを作り直して次世代MacOSとすることを提案し、アップルの顧問、そして後に暫定CEOとして復帰した。そして、あまり知られていないが、ウォズも同時期にアップルに復帰している。ウォズにはジョブズのようなアップルを救う戦略はなかったが、ただ純粋にアップルを手助けしたいという気持ちから馳せ参じたのだ。

ウォズは教育市場にもっと目を向けるべきだと経営陣に訴えた。事実、Macintoshは教育市場では大きなシェアを握っていた。しかし、ジョブズが暫定CEOとなり、iMac、iPodなどのプロジェクトが進み始めると、ジョブズは人を介してウォズにこう告げた。
「アップルには、きみの仕事はもうない」
ウォズは再びアップルを去ることになる。なお、自伝によると、ウォズはいまだにアップルの社員であり、エンジニアとしての最低の給与をもらい続けていて、アップル製品も社員割引で購入しているという。そしてウォズは、ジョブズから傍から見たら散々な仕打ちを受けながらも、いまだに「ジョブズは親友」と言い続けている。
「彼はいちばんの親友だし、強いつながりがあるって思う。ただ僕らは違うタイプの人間だった。最初からずっとね」

ウォズとアトキンソンの違い

ウォズは、アップルII以降、エンジニアとしては第一線を退いた。しかし、それは飛行機事故による後遺症のためではなく、時代がウォズを求めなくなっていったことを、ウォズ自身が自覚したからかもしれない。

1979年末、アップルのエンジニアたちはゼロックスパロアルト研究所を訪問し、そこでアイコンとマウスで操作するアルトと出会う。当然、ウォズもこの訪問に参加をし、アルトを見て「これこそ未来のパーソナルコンピューターだ」と驚嘆している。しかし、そのアルトをイメージした新機種Lisa(後のMac)の開発にウォズは加わっていない。中心となったのは、ビル・アトキンソンだ。アトキンソンは、高速に図形を描くグラフィックライブラリQuickDrawをほぼ一人で開発し、今日のMac OSの原型となるLisa OSの開発でも中心的な役割を果たした人物だ。アトキンソンは、AppleIIでウォズが果たしたのとほぼ同じ役割をLisaで担ったとも言える。

とはいえ、二人の考え方は全く違う。ウォズはハードウェアの人であり、アトキンソンはソフトウェアの人だ。今日のようなオーバーラップウインドウを採用していたアルトは、ハードウェアを使ってウインドウを描画していた。ソフトウェアで描画するにはCPUが非力すぎて時間が掛かり、快適に操作できないからだ。が、アトキンソンはその事実を知らなかった。あるいは見逃していたため、当然ソフトウェアで処理されていると考え、描画ライブラリを書いたものの、とても快適な速度では描画ができない。アトキンソンはそれをなんとかしようと、憑かれたように描画ルーチンの改良に取り組む。そして完成したのが、LisaGrafと呼ばれる高速の描画ライブラリだ。後にQuickDrawとしてMacOSに採用されている。Macがグラフィカルなインターフェイスをもつパーソナルコンピューターとして成功できたのは、この高速描画を可能にしたQuickDrawがあったからだ。

しかし、そのために色が犠牲になった。Lisaや初期のMacintoshはすべてモノクロ表示になってしまった。アップルの最初の時代のコーポレートロゴは、かじり跡のあるリンゴが6色に彩られている。これは、カラー表示を可能にしたApple IIを想起せるためだ。しかし、アトキンソンの時代になって、ロゴは6色であるのに、画面表示はモノクロとなった。時代はウォズの魔法使いから、ソフトウェアデザインへと移っていった。そして、ウォズはアップルを去り、リンゴのロゴもモノクロームになった。

We still need You!

2010年、60歳になったウォズは、IQ170を超える天才研究者のオタクっぷりを描いた米国の人気コメディドラマ「ビッグバンセオリー」にゲスト出演した。物理学研究者で超オタクの主人公シェルドンが、レストランに食事に行くと、そこに本物のウォズがいる。シェルドンは大喜びして、仲間に「ぜひ挨拶したい」と言いだす。そして、ウォズに向かって「あなたは私が世界で17番目に尊敬するエンジニアです!」と語りかける。

ウォズがとまどっていると、シェルドンは続けて、「安心してください。スティーブ・ジョブズよりは上ですから」と言う。ウォズが「なんでぼくの方が、ジョブズより上なの?」と尋ねると、シェルドンは自分の首のあたりを指さして「あれですよ」という。ウォズも「ああ、あれね」と答える。ジョブズがいつも同じ黒のタートルネックを着ていることを皮肉っているのだ。

この時のウォズは実に楽しそうだった。まさに充実した人生を楽しんでいるハッカーと言えるだろう。自分に対して正直に生きるウォズは、世界中のエンジニアやハッカーの憧れでありお手本だ。そして、ウォズは今日でも健在である。アップルの新製品発表日には、アップルストアの行列に並び、さまざまなプロダクトについて意見を公表している。そして、だれもがウォズにこういう。We still need You!

Images By Viappy / Shutterstock.com

【参考文献】

  • 「アップルを創った怪物」スティーブ・ウォズニアック著、ダイヤモンド社刊
  • 「Steve Jobs Special ジョブズと11人の証言」NHKスペシャル取材班著、講談社刊
  • 「アップル・コンフィデンシャル2.5J」オーウェン・W・リンツメイヤー他著、アスペクト刊
  • 「Apple Ⅱ 1976-1986」湯本大久他著、毎日コミュニケーションズ刊
  • 「マッキントッシュ伝説1」斎藤由多加著、毎日コミュニケーションズ刊
  • 「ハッカーズ」スティーブン・レビー著、工学社刊
  • 「数のコスモロジー」齋藤正彦著、ちくま学芸文庫

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