連載:ハッカーの系譜①スティーブ・ウォズニアック (4/6) ウォズのコンピューター「Apple I」の登場

牧野武文

June 10, 2015 17:00
by 牧野武文

ブルーボックスから手を引いたウォズは、大学3年目の22歳の時に、ヒューレット・パッカード(HP)に採用され、科学電卓を開発する部門でエンジニアとして働くことになった。ウォズは、これ以来HPという企業を愛し続ける。当時、メーカーの多くがマーケティング主導になり始めていたが、HPはエンジニアを尊重していた企業だった。エンジニアが自由にものづくりをし、それをマーケティング部門がどう売ろうかと考える。そういう会社がウォズの理想だった。マーケティング部門が消費者のニーズを分析し、「こういう製品を作れ」とエンジニアに命令する、そういう会社をウォズは好きになれない。HPはエンジニアの天国だったのだ。

アルバイトで技術を磨く

1970年代の初め、米国は不景気となり、多くの企業がリストラを行った。しかし、HPは社員を解雇せず、全員の給料を10%減らすことで乗り切った。こういところもウォズの考え方に合っていて、後にウォズはアップルでも同じような考えを実行に移すことになる。ウォズは、HP社で科学電卓の設計を進めながら、プライベートでもさまざまな仕事をしていた。お金を稼ぐためではなく、楽しめる仕事があれば、二つ返事で引き受けてしまうのだ。後のアップル創業も、このようなプライベートな仕事の1つとして始まったものだった。このプライベートな仕事の中で、注目しておかなければならないのは、VTR機器の件だろう。まだソニーのベータマックスもない時代、すでに米国では「カートリビジョン」(Cartrivision)という企業がVTRシステムを販売していた。

このVTRシステムを使ってホテルの各部屋に映画のビデオを供給するシステムを開発する仕事を、ウォズは引き受けた。宿泊客が見たい映画を選ぶと、管理室の担当者がその映画のビデオをセットする。すると、その部屋でだけ、その映画が再生されるという仕組みだ。この仕事のおかげで、ウォズはテレビ映像の仕組みを学ぶことになり、のちの「Apple II」でその知識が多いに役立つことになる。

さらに、アタリがアーケードゲーム機を販売するようになると、ウォズは自分でテレビに接続するゲーム「ポン」(テレビテニス)を自作したりしている。このころ、ジョブズはアタリで働いていた。若いジョブズは、エンジニアとしての実力はないものの、大口を叩き、他人の設計にケチをつけるのが日常だったため、周囲と確執ばかりを起こしていた。そのため、ジョブズだけ勤務時間を、他のエンジニアとは違って、深夜にさせられていたのだ。そのため、ウォズは、アタリで働くジョブズのところに気軽に遊びにいけた。もちろん、ウォズの自作「ポン」も、ジョブズやアタリのエンジニアに披露していた。

ジョブズからゲーム機設計の手伝いを依頼される

しばらくすると、ジョブズが「アタリの新しいゲーム機の設計を手伝ってくれ」と電話してきた。ヒットしたアーケードゲーム「ポン」をさらに進化させたゲーム機の開発を、アタリの創業者であるノーラン・ブッシュネルは考えているが、ひとつ問題を抱えていた。それは、ゲームが複雑になるにつれ、使用するICチップの数が飛躍的に増え始めていたことだった。このころ、1つのゲーム機に200個程度のICチップを使うのが当たり前になっていた。ゲーム機の製造コストを押しあげてしまうことも問題だが、発熱による暴走、故障も大きな問題だった。ブッシュネルは、もっと少ないICチップで面白いゲーム機が作れないかと頭を悩ませていた。ジョブズはその話を聞いて、いつも魔法のように少ないチップでものを作りあげてしまうウォズに手伝ってもらおうと考えたのだ。

ゲームの内容はすでにブッシュネルがおおまかに決めていて、それが後の「ブレイクアウト」(ブロック崩し)だった。使ったICチップの数は40個程度だった。ウォズとジョブズは、締め切りが厳しいこの仕事に不眠不休で取り組み、なんと4日間で完成させた。そして、ジョブズはブッシュネルからボーナスの700ドルをもらい、半分の350ドルをウォズに渡した。

有名な話なのでご存知に方も多いと思うが、ジョブズはウォズにウソをついていた。10年後、大企業となったアップルは「マッキントッシュ」を発売したが、そのプロモーションに出席するため、ウォズは同僚一緒に飛行機に乗っていた。マッキントッシュの開発の中心人物であったアンディ・ハーツフェルドも一緒だった。ハーツフェルドは飛行機の中で、『ザップ』というアタリの歴史をまとめたノンフィクションを読んでいた。

その本の中には、ブレイクアウトはジョブズが一人で開発したというように書かれていた。ハーツフェルドがそのことを何気なくウォズに告げると、ウォズは上機嫌で、その記述の間違いを指摘した。「あれは、僕とジョブズの二人で開発したんだよ。それで700ドルももらったよ」。ハーツフェルドは怪訝な顔をした。「この本には5000ドルって書いてあるけど」。ウォズアックがその箇所を読んでみると、確かに5000ドルと書いてある。その金額と、ジョブズが一人で開発をしたという点をのぞいて、その他の記述は克明で正確そうだった。どうやらジョブズは、ウォズに350ドルを渡し、残りの4250ドルを自分の懐に入れたようだった。

10年後に明らかになったジョブズの裏切り行為を知って、ウォズは「思わず叫び声をあげてしまったよ」と明かしている。それでもウォズは、自伝の中で「ジョブズはずっと親友だった」と語る。ジョブズは、30セントで仕入れた部品を6ドルという高値で売ることこそビジネスだと考えていた。仕入れ値は関係ない。その顧客にとって6ドルの価値があるのだから、6ドルで売ってなにが悪いという考え方だ。ウォズは違う。30セントで仕入れたものは、手間を勘案してできるだけ安く、例えば50セントで売る。それどころか、客がものすごく面白いことに使うのであれば、タダであげてしまってもいい。ウォズとジョブズは性格が正反対だと言える。だからこそ二人はいいコンビだったし、親友なのだという。このウォズの「ジョブズはずっと親友だった」という言葉には非常に重みがある。なぜなら、ジョブズは後年ウォズに対し、5000ドルどころではない、もっとひどい仕打ちをするのだが、それでもウォズは親友だといい続けるのだ。その仕打ちについては、後ほど触れたい。

「Apple I」とアップルの誕生

1975年3月、ホームブリュー・コンピューター・クラブの第1回会合が開かれた。ホームブリューとは自家醸造の意味。自家製のコンピューターを作ろうというエンジニアたちの集まりだった。このホームブリューは、デジタルの歴史の本には、同好会やサークルといったイメージで語られることが多いが、現実には参加した多くの者が起業のチャンスを狙っていた。要するに、新しく登場したデジタル技術を使えば、IBMやDECといった大企業にしか製造できなかったコンピューターを、ガレージカンパニーでも作れるかもしれない。それを軸に起業をしたいという人の集まりだった。同好会というよりも、今日のシリコンバレーで連日行われてわれているスタートアップセミナーに近い。事実、アップル、マイクロソフトを始めとして、当時のほとんどのデジタル企業は、このホームブリューとなんらかの関わりをもっていた。

ウォズニアックとジョブズ、そして「Apple I」 Images By Computer History Museum

このホームブリューでの中心的な話題は、MITS社から発売になっていた「アルテア」という自作コンピューターキットだった。このキットを買って組み立てれば、自分のコンピューターを持つことができる。といっても、キーボードもないし、モニターもない、ストレージもない。起動したら、毎回プログラムのスイッチを上下させて入力し(これだけで30分以上かかる。しかも起動するたびにやらなければならない)、実行すると結果は、横一列にならんだランプが点滅して2進数で教えてくれるというものだった。

ウォズはこの時までアルテアというものがどういうものかよく知らなかった。しかし、ホームブリューでアルテアについて知るようになると、5年前に熱中して設計していたウォズのコンピューターとそっくりであることがわかってきた。違いといえば、CPUというものが使われていたことぐらいだ。ウォズの自作コンピューターの頃にはCPUというものが存在しなかったので、ウォズは複数のチップを使って、CPUと同じ働きをするユニットを作っていた。アルテアのキットは400ドルもした。しかし、ウォズは自分の設計であればもっと安く、いろいろなことができるマシンが製作できると確信を持った。ウォズは、もう一度、「ウォズのコンピューター」を設計することにした。

「ウォズのコンピューター」は、後に「Apple I」と呼ばれることになる。アルテアと大きく違うのは、入力用のキーボードがあり、テレビを出力用のモニターとして利用できるという点だった。アルテアには両方ともなかったのだ。

この今日ではあたりまえのパーソナルコンピューターのスタイルは、ウォズの独創だった。ウォズは、大型計算機のターミナル端末からヒントを得て、このスタイルを採用した。当時、すでにインターネットの前身であるアーパネットが、大学や研究機関で利用できるようになっていて、ウォズはこのアーパネット用の端末も設計したことがあった。Apple Iの構造を簡単にいえば、このような大型計算機やアーパネットの端末にCPUを乗せ、演算機能をもたせたものだ。

ウォズニアックが開発した「Apple I」 Images By Computer History Museum

アルテアはCPUにインテルの「8080」を採用していた。しかし、価格が高いうえに、個人が買うことはできず、法人しか購入できなかった。一方で、ウォズがいろいろ調べてみると、モトローラ社も「6800」というCPUを発売していて、こちらはHPの社員であると告げれば、個人でも購入できそうなことがわかった。しかも価格も安かった。ウォズは6800を使って、コンピューターを設計することにした。しかし、すぐにモステクノロジーの「6502」に換えることにした。6502は6800と完全互換で、安かったのだ。6800は40ドルだったが、6502は20ドルで買えた。

そして、1975年6月29日の日曜日、Apple Iが完成した。さらに、ウォズはApple Iで動く小さなプログラミング言語BASICも開発した。ジョブズは、このウォズのコンピューターを見て、これを売る会社を作ろうと提案した。しかも、ジョブズは、マウンテンビューにあるコンピューターショップ「バイトショップ」のポール・テレルと話をつけ、組み立て済みApple Iを100台、1台あたり500ドルで購入するという約束を取りつけてきた。5万ドルの受注だった。原価は220ドルなので、2万8000ドルの利益になる。こうして、クリストドライブにあるジョブズの家のガレージを作業場として、アップルが起業した。

(敬称略/全6回)

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