連載:ハッカーの系譜④アラン・ケイ (6/7) 「ゼロックス・スター」の敗北と、パーソナルコンピューター時代の幕開け

牧野武文

November 5, 2015 09:00
by 牧野武文

当時、「近未来のパーソナルコンピューター」を最初に世に送りだすことになるのは間違いなくゼロックス社だと思われていた。1975年6月には米『ビジネスウィーク』誌がPARCのアルトを紹介し、将来のコンピューター市場の勝者となるのはIBMとゼロックスだろうと予測している。しかし、ビジネスウィークの記事は結果的に誤っていた。なぜなら70年台前半、PARCでは世界を変える革命が人知れず進行していたが、ゼロックス本社では企業の体力を奪う数々の出来事が起きていたのだ。

1972年、米FTC(連邦取引委員会)がゼロックス社を独占禁止法違反で訴えた。ゼロックス社はコピー機の市場を不当に独占しているというのが理由だ。問題になったのはリース方式だった。ゼロックス社は自社のコピー機の性能に絶対の自信を持っていたが、それが消費者に理解されるかどうかに不安があった。性能は落ちても廉価なライバル機種に流れてしまう危惧があった。ライバルのコピー機は300ドルから400ドル+毎月の消耗品料という形で販売されていたが、ゼロックスのコピー機は製造コストが掛かっているので1万ドルほどにしなければ採算が取れない。

そこで、販売方式をやめてリース方式にした。月95ドルで導入することができ、毎月200枚までのコピーは無料にした。超過した分は1枚4セントという価格だった。ライバルのコピー機よりも安く導入ができ、しかも使ってみると、明らかにコピーが鮮明で、しかも保存にも耐える。いざ使えば200枚どころではなく、あっという間にどのオフィスも数千枚、数万枚のコピーを取るようになっていた。こうなると、最初から買い取りしてしまった方が得だったのだが、顧客がそれに気づくころには、新機種が登場していて、そちらに乗り換えるように促していく。ゼロックス社が成長したのは、コピー機の性能の良さもあったが、このリース方式によるところも大きかった。

しかし、FTCはそのリース方式こそが他社の参入を妨げているとして独占禁止法で提訴したのだ。リース方式であるために、修理部品やトナー、紙といったものまでゼロックス社が提供し、他の業者が参入する余地がなくなっているというのだ。このFTCとの紛争は70年代末まで続き、ゼロックス社の市場シェアはしだいに下がっていくことになる。

もうひとつは、70代前半の不景気による影響だった。ゼロックス社は新機種を投入することで、売上を伸ばしてきた。新機種は基本月額使用料が高くなり、しかも高速に大量のコピーをする。コピーの枚数は自然に増え、ゼロックス社の売上も比例して伸びていく。しかし、不景気になると、多くの企業が新機種へ乗り換えずに古いコピー機を使い続けた。既に古いコピー機でも一定水準の使い勝手に達しており、高い使用料を払ってまで、新しい機種にする必要性を感じにくかったのだ。ゼロックス社は、売上こそ維持していたものの、利益率は急激に落ちこんでいった。

コンピューター史上、もっとも残念な決断

そして、最大の問題がSDS(サイエンティフィック・データ・システムズ)社だった。ゼロックス社がコピー機ビジネスの将来に問題を感じて、コンピュータービジネスに乗り出す決意をした時、最初にやったことはSDSを買収することだった。SDS社は、電子計算機を製造販売していた企業だ。ライバルはIBMやDECだったが、規模はずいぶんと小さかった。1969年、ゼロックス社はこの小さなSDS社を約9億ドル相当のゼロックス社株との株式交換で買収した。ところがこれが大失敗に繋がる。

SDS社の本来の顧客は、科学技術関係の研究機関や企業だった。ゼロックス社は、その技術力を活かして、オフィス向けの電子計算機の開発に乗り出すことを目論んでいた。だが、SDS社は相変わらず科学技術向けの電子計算機を作り続けるだけで、パーソナルコンピューターという考え方が登場してくると、業績はゆるやかに落ちていった。結局、オフィスコンピューターの世界はIBMが市場を独占してしまい、SDS社はそこに食いこむことができなかった。ゼロックス社にとって、SDS社は1970年から毎年4000万ドル以上の損失を出す、頭の痛い存在になっていった。結局、ゼロックス社はSDS社の買収で、約13億ドルをドブに捨てることになる。

このような財務上の事情が複数重なり、PARCを創設した積極的で未来志向のマインドは、ゼロックス社の経営陣からすっかり消えていた。70年代末、アルトが商品化が可能なところまで到達したとき、ゼロックスの経営陣はアルトの商品化を見送った。これはコンピューター史上、最も「残念な決断」だったと言われる。もしこの時に、ゼロックスがアルトの商品化に乗り出していれば、「世界初のマウス操作のパーソナルコンピューター」の栄誉はゼロックス社に輝いていたかもしれない。ひょっとしたら、ゼロックス社は現在のアップルのような地位を占めていたかもしれないのだ。

もちろんこれはifの話で、アルトを商品化しても市場に受け入れられず、さらにゼロックス社の経営に大きな打撃を与えていた可能性もあるので、当時の経営陣の判断が正しかったかどうかは今になっては分からない。だからこそ「誤った判断」ではなく「残念な判断」なのだ。

当時のゼロックス社の経営陣の立場になってみれば、アルトの商品化は思い切りのいる決断だっただろう。会社の経営基盤自体が揺らいでいるところに、新たな市場を開拓しなければならない先進的な商品を発売するには勇気がいる。ましてやゼロックス社は、もはや失うものがなにもないハロイド社ではなく、フォーチュン500に名を連ねる大企業なのだ。

商品として失敗したゼロックススター

経営陣が選んだのは、市場を開拓する商品ではなく、既存の市場に追従する商品だった。アルトのように「パーソナル」なコンピューターではなく、IBMのように会社に1つの大きなオフィスコンピューターでもなく、部署にひとつの小さなオフィスコンピューターを狙った。オフィスコンピューターの世界はIBMが市場を固めていたし、パーソナルコンピューターの世界はアップルがアップルIIを発売して人気になっていた。だが、個人市場はまだまだ趣味でコンピューターを使いたいオタク向けで、ゼロックスの顧客であるオフィスワーカーが注目するものではなかった。そこで、IBMとアップルの中間を狙って、部署ごとに置く分散型のオフィスコンピューターの企画が浮かび上がってきた。

これは後の「ゼロックス・スター」として販売されることになるが、開発の中心になったのがPARCからシステム開発部に移籍したエンジニアたちであったこともあり、アルトで開発された多くのアイディアが盛り込まれた。現在のMacのように、マウスを使いグラフィカルな画面を操作し、書類を作る時は、好きな場所にテキストやグラフ、映像を貼り付けることができた。スター同士はイーサネットで結ばれ、書類を共有することなども可能だった。

1982年に発売された「ゼロックス・スター」 Images By Computer History Museum

今考えても素晴らしい仕様で、これが1981年に発売されていることは、コンピューターの歴史上もっと評価されていいことだが、なぜかスターは忘れられている。それは2つの点で問題があったからだ。ひとつは商業的に失敗だったこと。もうひとつは設計思想は素晴らしかったが、実際の使用には大きな問題があったことだ。

スターの価格は1万6000ドルと高価だったが、実際には複数台を導入して、さらにファイルサーバーとプリントサーバーを導入しないと、スターのよさが活かせない。すると合計で5万ドルから10万ドルになってしまうのだ。ゼロックスとしては、IBMのような大がかりなシステムを納入するノウハウは持っていないし、パーソナルコンピューターのように個人に販売するノウハウもない。一企業に数台のスターのセットを販売するというのは、ちょうどコピー機の販売と規模が同じで、やりやすかったのだ。しかし、スターはコピー機とは価格が桁違いだった。コピー機を1台リースするような中小企業に営業に行っても、そんな大金は出しようもなかった。

もうひとつは、設計思想が素晴らしすぎたため、ソフトウェアが重くなり、実用上の問題を引き起こした。大きな書類を保存するときは1分以上掛かることもあり、特に障害が生じると、自動復旧するシステムが1時間も動き、スターが使えなくなる。高価な機械を1時間も遊ばせておくことは、企業にとっても大きな損失となる。

パーソナルコンピューター時代の幕開け

さらに不幸だったのは、IBMが同じ年に「IBM PC」の販売を始めたことだ。現在の「Windows PC」の始まりである。1977年にアップルからアップルIIが発売されると、コンピューターオタクたちが飛びついてヒット商品となった。最も売れたソフトウェアはミステリーハウスというアドベンチャーゲームであり、この時点ではIBMもゼロックスも注目しなかっただろう。しかし、1978年に表計算ソフト「VisiCalc」が発売されると事情が変わってきた。翌年にはワープロソフト「EasyWriter」が発売され、一気にビジネスマンがアップルIIを買い求め、オフィスにパーソナルコンピューターが入り始めたからだ。

AppleIIで動くVisiCalc Images By Wikipedia

IBMは、アップルの玩具のようなコンピューターが自分たちのビジネス市場を侵食していることを敏感に感じ取った。そして、IBMとしては実に異例の「外部」で調達できる部品を組み合わせて安く作ったIBM PCを1981年に発売した。このIBM PCにはマイクロソフトのPC-DOS(後のMS-DOS)が搭載され、オフィスで使うことを想定したものだった。IBM PCの価格は約1500ドル、アップルIIは約1300ドル、スターは1万6000ドルだった。誰もがスターを買うよりも、IBM PCを選んだ。確かにIBM PCは発売当時から時代遅れの仕様で、先進性のかけらもないとコンピューターの専門家からは批判されたが、多くの人にとっては時代遅れのコンピューターですら電卓やタイプライラーに比べれば非常に先進的だったのだ。

(全7回/敬称略)




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