連載:ハッカーの系譜④アラン・ケイ (2/7) マウスを発明した男、ダグラス・エンゲルバート

牧野武文

October 6, 2015 18:18
by 牧野武文

エンゲルバートが抱いていた思いは、人間と技術の進歩の調和がずれ始めているということだった。電話やテレックスのネットワークは世界中に広がり、情報は瞬時にやりとりができるようになっている。印刷のコストは下がり、大量に情報を印刷して配布することも可能になった。そして、電子計算機が登場し、複雑な計算も瞬時に行えるようになった。しかし、一方で人間はどうだろうか。テクノロジーは急速に進化しているのに、人間はまったく進化していない。これではいずれ、人間がテクノロジーの進化に置いて行かれてしまうのではないか。

ダグラス・エンゲルバート(1968年撮影) Images By Wikipedia

そうならないためには、人間が進化しなければならない。しかし、生物としての進化は簡単なことではないので、情報機器を使いこなすようにして、情報武装しなければならない。そのためには、電子計算機を利用するのが最も適している。紙とペン、電話は確かに人類が発明した素晴らしい道具ではあるが、それでだけでは情報化社会は実現できない。エンゲルバートはそう感じていた。

だが、その電子計算機にも問題がないわけではない。複雑な計算ができる計算機としては優秀だったが、人間が使う道具として見るとまだまだ至らないところが多かった。エンゲルバートが特に問題にしたのが、リアルタイムと協働作業だ。

この当時の電子計算機はリアルタイムに扱える道具ではなかった。計算の手順をあらかじめプログラムという形にまとめ、これをパンチカードに1行ずつ打ちこまなければならなかった。このパンチカードの束を電子計算機室に持っていき、専任のオペレーターに渡す。いつ処理してくれるかは、オペレーターの機嫌次第だった。その間、計算したい者は辛抱強く待っていなければならなかった。計算者が考えているときは、電子計算機は他の人の計算をしている。電子計算機がその人の計算をしているときは、計算者は他の仕事をするか、休憩室でコーヒーでも飲んでいるしかなかった。

このような非リアルタイム性は、人間が扱う道具として最低限の条件を満たしていない。たとえば、自動車はハンドルを左に切ると“リアルタイム”に左に曲がる。ブレーキを踏むと“リアルタイム”に停まる。リアルタイムに操作できるからこそ、人間はその道具を使いこなすことができ、慣れてくるとまるで自分の手足であるかのように感じられるようになる。電子計算機はそれができなかった。あらかじめ、すべての手順を計画し、途中で問題が起きても、電子計算機はそれを無視して愚かにも“計画通り”にしか仕事を進めてくれない。ミキサーですら、ボタンを押せばリアルタイムにキウィを砕き始め、フタが外れかかるというアクシデントが起きたら、ストップボタンを押せばリアルタイムに停止してくれるのに。

協働作業がコンピューターを使いこなす鍵

もうひとつは協働作業ができなことだった。紙とペンは書いた企画書を複数の人に回覧し、人と人とが協同して仕事を進める。オフィスにある道具というのは、すべてがだれかと協働して仕事を進めるためのものだ。電話もそうだし、メモ用紙もそうだ。打ち合わせテーブルもそうだし、デスクの上に置いてある家族の写真だって、同僚との話のきっかけを生むという協働のための道具になっている。ところが電子計算機だけは、それぞれが電子計算機の下僕になるしかなく、宦官のような尊大な表情をしたオペレーターのご機嫌を窺わなければならない。

電子計算機というのは、研究所や大学、企業に1台置くというのではなく、ほんとうは1人に1台なければいけないのではないだろうか。エンゲルバートはそう考えた。そして、電子計算機は通信ケーブルで接続され、電話のように同僚と話をすることができ、更には書類や目の前の画面を瞬時に相手に見せることができる。そのためには、電子計算機は数字だけを扱い計算をする機械ではなく、文字を扱い情報を扱う機械でなくてはならないのではないか。エンゲルバートはそう考えたのだ。

今日では、パーソナルコンピューターとして当たり前のことになっているエンゲルバートの発想は、当時はとてつもなく突拍子もないものだった。なぜなら、何十トンにもなる電子計算機をすべての個人が所有するという話なのだから、それは空想を通り越して妄想に近いと言える。今日でも、「ジェット機を個人すべてが所有する時代がくる」と言ったら、多くの人が失笑するだろう。100年前、「個人のほとんどが馬なし馬車を所有する時代がやってくるだろう」と予言した若き日のヘンリー・フォードは、周りからの失笑を買ったが、私たちの今の世の中はフォードの予言にほぼ近いものになっている。エンゲルバートはあまりにも早い時期に、未来である今日のコンピューターの姿を見通していた。

電子部品の小型化には限界がない

エンゲルバートは、オレゴン州立大学を卒業後、カリフォルニア大学バークレー校の大学院に進んだ。博士号を取得後は、プラズマ放電を利用してトランジスタの働きをする素子の開発をするベンチャー企業デジタル・テクニクス社を設立したが、事業はあまりうまく行かなかった。会社は1年で暗礁に乗り上げてしまったが、運よくスタンフォード研究所から誘いの声がかかった。

そこでは「電子部品はどこまで小型化できるか」という研究を行った。これは、個人が所有するコンピューターを実現するには重要な研究だ。なぜなら、当時の電子計算機は巨大すぎて、まったく個人が所有するのには適していなかったからだ。

エンゲルバートの研究の結果、「小型化に限界はない」という結論を得た。もちろん、物理的な原子の大きさという限界はあるものの、技術が進歩すればENIACのような幅30m、重量27tというような電子計算機も手のひらに乗る程度の大きさにすることも可能だという確信を得た。

エンゲルバートの素晴らしい点は、ただ電子デバイスを小さくして小型化するだけではなく、小型化することによって複数のデバイスを組み合わせて使えるようになり、それがまったく違った情報の扱い方を生んでいくということを予見していたことだ。エンゲルバートは具体例はあげていないものの、「小型電子デバイスを組み合わせて使うことによる新しい使い道」が生まれることを、現在の私たちはよく知っている。たとえば、CCDカメラとGPS、コンパスを組み合わせることによって、撮影した写真の位置情報を知ることができるようになる。時計と組わ合わせることで、撮影した日時を知ることができる。みんなが撮影した写真を共有して、自動的にストリートビューのようなシステムを構築することも原理的には可能になっている。このような現代のクラウド的な世界もエンゲルバートはおぼろげながらに予感していたのだ。

スプートニク1号がNLS研究を後押し

エンゲルバートは、スタンフォード研究所で自分が理想とするコンピューター「NLS」を開発しようとした。NLSとはoN-Line Systemの略だ。これは、個人がコンピューターを所有し、すべてがケーブルで接続されていて、遠隔地にいるユーザーが協働してひとつの仕事を進められるというものだった。使われている技術は異なるが、今日のパソコン+インターネット+クラウドを組み合わせたものと同じ働きと言える。

しかし、このNLSは早すぎたのか、周囲の理解を得ることはできず、スタンフォード研究所は研究費を支出しなかった。5年ほど、エンゲルバートはNLSのレポートを書いては、あちこちを回って資金提供を願いでたが、なかなか研究費の目処は立たなかった。

そんな折、エンゲルバートにとってはラッキーな事態が起こる。1957年10月4日にソ連(旧ソビエト連邦)が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたのだ。科学調査が目的とソ連側は発表していたが、衛星に科学観測機器はなにも搭載されていなかった。放送機とバッテリーが積みこまれ、宇宙から全世界に共産主義のメッセージをラジオ放送することが目的だった。また、外観はピカピカに磨き上げた球状で、これは明け方や夕暮れに、太陽光を反射して、地上から肉眼でも見ることができるようにするためだった。

アメリカを大混乱させたソ連の人工衛星「スプートニク1号」

アメリカはこの小さな衛星ひとつでパニックに陥った。なにしろ、米国の上空を敵国ソ連が製造した衛星が飛んでいるのだ。爆弾でも搭載して、米国上空で切り離せば簡単に米国本土を攻撃できる。ソ連はスプートニクが肉眼で見える時間帯と方向を詳細に公表したので、多くの米国市民が肉眼でスプートニクを目撃した。中にはスプートニクが怪電波を発していて、リモコン式のガレージが勝手に開いたり閉まったりするというデマも飛び交った。それこそがソ連側の狙いだったのだ。

スプートニクは、米国に混乱をもたらしたが、科学者たちはその混乱の中から秩序を築き始めた。陸海空軍に分散していた宇宙開発をひとつにまとめ、NASA(アメリカ航空宇宙局)を設立。さらに、科学関係の研究予算を大幅に増額し、防衛に役立つ科学研究には惜しみなく予算を付けることにした。

エンゲルバートのNLSも国防に役立つと判断された。インターネットと同じように、ネットワーク関係は歓迎されたのだ。全米にネットワークを張り巡らせれば、もしどこかの都市が核攻撃を受けたとしても、米国は機能不全に陥ることはないと軍の上層部は考えた。1963年1月、エンゲルバートはARPA(国防省高等研究計画局)の予算を得ることに成功した。

画期的なマウスの発明

NLSで最初に問題になったのがマンマシン・インターフェイスだった。簡単に言えば、入出力をどのように行うのか、人とのやりとりをどうするのかという問題だ。当時の電子計算機のインターフェイスはパンチカードが主流だった。パンチカードに文字を1行分打ちこみ、それに応じて穴が開けられたカードをカードリーダーに読み込ませるのだ。コンピューターが出力する情報は、初期は紙テープに開けられた暗号のような穴だったが、ようやくプリンターが登場し、文字や数字で読むことができるようになった。

コンピューターにデータを入力するため、当時はこのようにパンチカードを作成して読み込ませていた

エンゲルバートは、このようなインターフェイスはNLSでは使えないと考えた。なぜなら、NLSでは遠隔地にいるユーザーが同じ書類に対して協働作業をすることが想定されている。今日で言えば、ワープロ画面を共有して、複数の人間が同じ画面に対して書き込みしたり、編集したりするようなイメージだ。それにはパンチカードやプリントアウトのように修正することが難しいインターフェイスは適していない。モニターのように修正があったら瞬時に書き換わるものが適している。NLSは必然的にブラウン管モニターを採用することになった。

さらに、次に問題になったのが入力装置だ。当時、コンピューターの入力装置と言えば、タイプライターを模したキーボードが一般的だった。しかし、キーボードにはふたつの問題があった。ひとつは、配列に慣れるのに時間がかかるということ。もうひとつは、キーボードは文字の入力には適しているが、図形の入力には適していないことだった。

図形を入力するには、当時からライトペンというものが存在していた。ブラウン管モニターは、ブラウン管の奥から電子銃が、左上から右下に走査することによって表示している。文字や図形を描く部分では電子を多めに打てば、ブラウン管裏側の蛍光物質がより明るく光ることになり、さまざまな表示ができる。画面上のある位置で、この走査のタイミングを読めば、その位置が画面の中のどこであるかがわかる。ライトペンはこういった原理でブラウン管上の位置を読み取るが、いかせん読みとり精度が粗かった。これでは詳細な図形はできない。

エンゲルバートのチームは、画面に矢印を表示し、この矢印をなんらかの道具で動かすことを考えた。このとき、エンゲルバートたちはホームセンターにいき、さまざまなパーツを買ってきて試したという。そこから誕生したのがマウスだ。

エンゲルバートが発明した入力機器「マウス」 Images By Wikipedia

底面は滑車がついている

この時のマウスは、滑車が縦方向、横方向の2つあり、上下左右斜めの自由な方向に動かすことで、画面上の矢印(カーソル)を動かすことができるものだった。マウスの上には小さなボタンがつけられていて、これを押すことで、“クリック”ができる。滑車が縦横についている構造というのは、斜めに動かすときにひっかかって使いづらそうにも思えるが、実際にエンゲルバートのマウスを使った経験があるアラン・ケイは「とてもスムースに動いた。後にボール方式になってからの方が、動きが悪くなったように思う」と語っている。エンゲルバートが実際に使っている映像を見ても、斜め方向にもとくに問題なく動かしているようだ。こうして、エンゲルバートはマウスを発明した男となった。

(敬称略/全7回)




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